2018年08月04日

「北海道新聞」(2018年8月4日)に「起訴前の呼称 見直しを」が掲載されました。

 「北海道新聞」(2018年8月4日)の「各自核論」のコーナーに、「起訴前の呼称 見直しを」が掲載されました。4月に元TOKIOの山口達也さんが強制わいせつ事件で書類送検されたさいに、メディアでの呼称が「容疑者」と「メンバー」に分かれた問題について考察し、起訴前の呼称として、容疑者をやめ、すべて肩書または敬称をつけるべきだと主張したものです。
 内容は以下の通りです。

     「容疑者」と「メンバー」 起訴前の呼称 見直しを 
                                          佐藤直樹
 4月に元TOKIOの山口達也さんが、強制わいせつ事件で書類送検された時に、メディアによって呼称が分かれた。「メンバー」と呼ぶものが多く、「容疑者」を使うものもあった。しかし5月に起訴猶予処分になると、今度は多くが「さん」づけに変わった。こうなるのは、現在日本のメディアでは、逮捕された場合には容疑者と呼ぶことに一応なっているが、書類送検の場合は明確な基準がなく、判断が微妙だからだ。
 メンバーという不思議な呼称は、所属事務所への「忖度」があったのではないかと批判された。だがそんなことよりも、私はここにかなり根の深い問題があると考えている。まず、何人も有罪が確定するまでは無罪と推定されるという、「無罪推定の原則」の問題である。これが「世間」ではほとんど信じられていない。逮捕された場合だけでなく、警察の取り調べを受けただけで、犯人視されるのが日本ではふつうのことだからだ。
 意外に思われるかもしれないが、逮捕や任意捜査などをへて検察庁が毎年処理する人員(少年を含む)のうち、起訴されるのは3割程度(その7割以上が略式起訴)。有罪でもほとんどが罰金刑になり、実刑は人員全体の2%程度。じつに6割以上が不起訴(起訴猶予を含む)、つまり無罪となる。これは、呼称においても無罪推定が必要であることを示している。
 もう一つ問題がある。日本で肩書や敬称に異様にこだわるのは、西欧社会とは異なり、「世間」が上下関係にきわめて敏感な身分社会だからである。たしかにメンバーと容疑者では、まるでニュアンスがちがう。このことは、英語との比較をするとよくわかる。
 たとえば英語のYOUは、相手が友達だろうが大統領だろうがすべてYOUで済む。つまりタメ口でよろしい。ところが、日本語の二人称は「あなた」「君」「お前」「てめえ」「貴様」など数限りなくあり、日本人はこれを相手との上下関係、つまり身分によって瞬時に使い分けている。無意識ではあるが、だれでもこの複雑な作業をやっているのだ。
 こうした使い分けが必要なのは、「世間」が年上・年下、目上・目下、格上・格下、先輩・後輩などの上下関係からできていて、その身分に合わせて言葉を選ばないといけないからだ。適切に言葉を選ばないと「世間知らず」とみなされる。初対面の人と名刺交換が必須なのは、まず相手の身分を確認しないと言葉を使えないからである。
 英語がYOU一つで済むのは、社会のなかで「法の下の平等」という大方の合意があるからだ。しかし日本では人は平等ではない。タメ口ではまずいのだ。そのため「世間」では、どういう肩書がつくかがきわめて重要であり、人々にとって一大関心事となっている。容疑者は犯罪者と同じ意味だし、とくに呼び捨てにすることは侮辱的な意味をもつ。
 じつは日本では1989年まで、メディアは逮捕された人間を平気で呼び捨てにしていた。その後、無罪推定や人権の観点から容疑者の肩書をつけるようになったのだ。この点で、山口さんの謝罪会見を伝えた4月26日付「ニューヨーク・タイムズ」(電子版)は、ミスターなしの呼び捨てである。しかし英語圏では肩書や敬称なしの呼び捨てでも、とくに侮蔑的な意味はないという。人は平等だという前提があるからである。
 10年ほど前にも、「ロス疑惑」の三浦和義さんがサイパンで米当局に逮捕されたさいに、「元社長」と「容疑者」に呼称が分かれた。この時に私は某紙の「新聞時評」で、容疑者の呼称をやめ、起訴までは肩書や敬称をつけるべきだと主張した。が、その後も議論が進む気配はない。そろそろ本気で考えてもよいのではないか。

(著者紹介)さとうなおき 1951年宮城県生まれ。現代評論家。専門は世間学、現代評論、刑事法学。「日本世間学会」幹事。著書に「目くじら社会の人間関係」「犯罪の世間学」など多数。


posted by satonaoki at 13:37| NEWS