2020年07月16日

nippon.comのサイトに「「世間のルール」に従え!」が掲載されました。

2020年7月16日に、ネットのnippon.comのサイトに「「世間のルール」に従え!:コロナ禍が浮き彫りにした日本社会のおきて」が掲載されました。
https://www.nippon.com/ja/in-depth/d00589/
内容は以下の通りです。
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世間のルール」に従え!:コロナ禍が浮き彫りにした日本社会のおきて
社会 2020.07.16
佐藤 直樹 【Profile】

新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、世界各国は「外出禁止令」と「罰則」による都市のロックダウンを行った。日本政府はこうした厳しい措置を取らず、「外出自粛」と「休業要請」を出してこの危機を乗り切った。なぜこのようなことが可能だったのか?

「法のルール」に代わる「世間のルール」

「自粛」と「要請」という奇妙な言葉が飛び交った、新型コロナウイルス禍があぶり出したものは、日本における「世間」の同調圧力の強さであった。「世間」は「社会」や「世の中」を意味する言葉だが、実は日本独特のもので、「society」 でも「community」でも「world」でもない。歴史的に見るとヨーロッパにも「世間」にあたるものが存在したが、11〜12世紀以降の都市化とキリスト教の浸透によって「個人(individual)」が誕生して「世間」は否定され、個人の集合体である「社会(society)」が形成されていった。この「社会」を支配するのが、「法のルール」だ。しかし欧米社会のような「個人」が確立されなかった日本では、「世間」はそのまま残った。「世間」とは、日本人が集団になった時に生まれる力学・秩序と言ってもいいだろう。

日本における「世間」の歴史は古く、奈良時代末期に成立した『万葉集』にも登場する。山上憶良(660〜733頃)は「世間(よのなか)を憂(う)しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば」(この世の中をつらい、身もやせ細るようだと思うけれど、飛び立ってどこかへ行ってしまうこともできない。鳥ではないのだから)と歌っている。そして現在でも日本人は、欧米にはない細やかな「世間のルール」にがんじがらめに縛られている。

例えば東日本大震災(2011年)の際、避難所で被災者が整然と行動しているのを見て、海外メディアはこうした非常時に日本では略奪も暴動も起きないと絶賛した。欧米では災害などで警察が機能しなくなり、「法のルール」が崩壊すると騒乱に結びつきやすい。しかし日本では、「法のルール」が崩壊しても、避難所では「世間」が形成され、「世間のルール」が強力に作動したため、略奪や暴動はほとんど起こらなかった。

欧米での新型コロナへの対応は、概して言えば「外出禁止命令」と「罰則」による都市のロックダウンであった(ただし休業補償がある)。「命令」と「罰則」というハードな手段になるのは、暴動が起きることが珍しくない欧米社会では、「法のルール」に基づく強制力がないと、誰も政府の言うことを聞かないからだ。

ところが日本では、「命令」も「罰則」もロックダウンもなかった。特別措置法の「緊急事態宣言」に基づく「外出自粛」と「休業要請」という、非常に「緩い」ものであった(しかも十分な休業補償はない)。しかし厳しい法的強制力がなくとも、感染者数が減少し5月末には緊急事態宣言が解除されるという、必要十分な効果があったのは、まさに「周囲(世間)の目の圧力」が働いたからだ。「自粛」や「要請」に応じない者に対して、「KY!=空気読め」という言葉に象徴されるように、周りから「世間のルール」を守れという、強い同調圧力がかかったのだ。

猛威を振るった「自粛警察」による「処罰」

新型コロナウイルスが厄介なのは、無症状の感染者が感染を拡大させることだ。誰が感染しているか分からないから、これが人々を疑心暗鬼にし、不安と恐怖を呼び起こす。その結果「万人に対する万人の戦い」(トマス・ホッブズ)という状況になり、日本では「世間のルール」を守らない人間に対する排除やバッシングが強まった。

例えば今回のコロナ禍で猛威を振るった「自粛警察」はその最たるものだろう。自分が直接の被害を受けていなくとも、「自粛」や「要請」に応じない店などに対して、匿名で行政に通報したり、抗議や脅迫を行ったりする。なぜ、こんな人権侵害ともなりうるような行為が頻発したのか?

その理由は、「世間」の同調圧力が極めて強いため、日本人は「世間体」をいつも考えなければならず、家庭で「人さま(世間)に迷惑を掛けない人間になれ」と言われて育つからだ。これは、「人とは違う個性的な人間になれ」と言われて育つ欧米とはまるで違う。そのため、「自粛」や「要請」に逆らっている者を発見したときに、それが自分に直接危害を加えるものでなくとも、自分が「迷惑を掛けられた」と思い込む。そこに正義感も加わり、「人に迷惑を掛けるな」と非難する感情が生まれ、通報や抗議、脅迫に至る。これが正当化されるのは、人に迷惑を掛けるような「世間のルール」に反する振る舞いが、日本では悪逆非道の行為と見なされるからだ。

こうした「自粛警察」による一連の行動は、事実上の「処罰」とも言える。「法のルール」の下では、法的根拠がなければ処罰されることはない。しかし日本では、「世間のルール」に反した者は法的根拠がなくても犯罪者のように扱われ、権利も人権も無視される。つまり「世間」が制裁を加えるのだ。

ケガレの意識が生んだ感染者差別とマスク着用

新型コロナウイルスに対する不安と恐怖の拡大が、感染者やその家族に対する苛烈な差別やバッシングを招いたのは記憶に新しい。感染者の家に石を投げ込んだり、壁に落書きしたりするなどの嫌がらせが相次いだ。こうした行動の背景にも「世間」がある。「出る杭(くい)は打たれる」という日本のことわざがあるように「世間」は同質的で、そこには一種の「人間平等主義」がある。さらに「世間」にはウチとソトを厳格に分ける力が働くため、同質でない者をウチからソトへと排除しようとする。こうして他と異なる者に対する差別やバッシングが起きてしまうのだ。

それに加えて、「世間」は極めて古い歴史を持つために、「友引の日には葬式をしない」などの俗信・迷信の類いがやたらに多い。そのため、病をケガレ(汚れ)と考え、それらを「清浄」な「世間」からソトへと排除しようとする。欧米とは異なり、日本で感染者やその家族に対する差別が特異で強固なのは、この伝統的なケガレの意識が「世間」の中に根強く残っているからだ。

ところが面白いことに、このケガレの意識が功を奏した側面もある。新型コロナによる死亡率が、欧米と比較してかなり低い理由として最近よく取り上げられるのは、日本におけるマスク着用率の高さだ。医学的に証明されていないが、感染症の防止にマスクは一定の効果を発揮したと思う。

新型コロナ以前には、欧米ではマスクをする人間はほとんどいなかった。しかし日本では、スペイン風邪(1918年〜)に始まり、マスク着用が花粉症対策などで徐々に普及していった。特に2000年代以降になって、「だてマスク」と称される病気とは何の関わりのないものを含め、マスクが爆発的に広まり、着用率が飛躍的に高まった。欧米とは異なり日本では、マスク着用に対する心理的抵抗はほとんどない。一体なぜなのか?

実はその根底には、「ソトは不浄=ケガレ」なので自分の身体を汚染から守る、すなわち「ケガレたソト」と「清浄なウチ」を分けるためにマスクを着用する、という日本独特の衛生観念があった。日本人がソトからウチ(家)に入るときに、靴を脱ぎ、手を洗い、うがいをするのも同じ理由からだ。この衛生観念は日本固有のものだと言ってよい。

確かに、「世間のルール」としての伝統的なケガレの意識は、欧米と比較した日本の新型コロナウイルス感染による死亡率の圧倒的低さに貢献している。だがその背後には、差別やバッシングを引き起こす「世間」の同調圧力の強さがあることを忘れてはならない。

佐藤直樹
九州工業大学名誉教授・評論家。専門は世間学、現代評論、刑事法学。1951年宮城県仙台市生まれ。九州大学大学院博士後期課程単位取得退学。福岡県立大学助教授、九州工業大学教授を歴任。99年に歴史学者の阿部謹也などと「日本世間学会」を創立。現在は同学会幹事。著書に、『加害者家族バッシング』(現代書館、2020年)、『犯罪の世間学』(青弓社、2018年)、『目くじら社会の人間関係』(講談社、2017年)など。個人サイト: http://www.satonaoki.com
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posted by satonaoki at 19:27| NEWS

2020年07月11日

2020年7月11日「朝日新聞」の「globe+」のサイトにインタビュー記事が掲載されました。

2020年7月11日「朝日新聞」globe+のサイトに「日本世間学会の研究者に聞く、日本に「自粛警察」が生まれる理由」というタイトルで、インタビュー記事が掲載されました。インタビューアーはGLOBE 編集部の畑中徹記者です。
以下からご覧になれます。
https://globe.asahi.com/article/13529493

内容は以下の通りです。


 〔佐藤直樹〕 日本世間学会の研究者に聞く、日本に「自粛警察」が生まれる理由

 世界中で新型コロナウイルスの感染が拡大する危機のさなか、日本では「自粛」「要請」という言葉が飛び交った。法的強制力や罰則があるわけではなかったが、人々の外出を抑制するのに一定の効果があった。九州工業大学名誉教授の佐藤直樹氏は、日本人のこうした行動の背景には「世間」というものの存在があると指摘する。日本人と世間の関係について語ってもらった。(聞き手・畑中徹)

――コロナ危機では、政府による「自粛要請」を、多くの日本人は受け入れて外出が大きく減りました。法的強制力や罰則などを伴った諸外国の政府の対応とは異なりましたが、ある程度の成果がみられました。それはなぜでしょうか?

 欧米におけるコロナ危機への対応は、外出禁止命令や罰則付き外出制限、ロックダウン(都市封鎖)などでした。一方、日本では「自粛」「要請」といった言葉に象徴されるように、命令や罰則もロックダウンもない、(新型コロナウイルス対応の特別措置法に基づく)緊急事態宣言での「外出自粛」「休業要請」という、きわめて「ゆるい」ものでした。それでも一定の効果がみられたのは、日本には欧米には存在しない「世間」というものがあるからです。

――「世間」がキーワードなのですね。

 そうです。日本には「世間の目」というものがあるので、自粛や要請に応じないものに対しては、周囲から「世間のルールを守れ」という強い同調圧力がかかります。ルールを順守しないと世間から排除されるため、日本人はじつに生真面目にこれを守っています。「世間を離れては生きていけない」とも思っていて、排除されないように、つねにまわりのことに気をつかって生きているのです。

 ――同調圧力がかかるということですが、コロナ危機では、日本人は「あの人はマスクをしていない」とか「外出自粛要請があるのに、お隣さんは出かけていった」というほどに周囲を気にしていたと思います。これらも、やはり世間に起因するのでしょうか?
 
そのような同調圧力も世間に由来するものでしょう。日本人の間では「みんな同じ」という同質性の同調圧力が働くために、隣の人がちょっとでも違う行動をとることに過敏でした。たとえば屋外でマスクをしなかったり、外出自粛要請を守らなかったりと、「世間のルール」に反する逸脱行為とみなされます。これが相互監視を生み出すのです。コロナの感染が広がる中では、世間による同調圧力と相互監視の肥大化につながりました。

――コロナ危機下では、日本国内のあちこちで「自粛警察」と呼ばれる動きも出てきました。自粛警察として、抗議や通報、ときには脅迫をする人たちの心理はどのようなものでしょうか?

 緊急事態宣言のもと、国内で登場した「自粛警察」も、世間の同調圧力と相互監視の一つのかたちでしょう。自粛や要請に逆らっているものを発見したとき、自分に直接危害を加えるものでなくても「迷惑をかけられた」と思い込みます。そこに正義感も加わり、「人に迷惑をかけるな」という意味での抗議や通報、脅迫にいたってしまう。それが正当化されるのは、「人に迷惑をかける」行為が、日本ではきわめて悪いことであるとみなされているためです。日本では「世間のルール」に反したものに対して、法的根拠もなく、権利や人権も無視されて、世間が事実上の処罰をおこなっているといえます。

――世間のルールというものは、ほかにどんな場面ではたらくのでしょうか?

 思い浮かぶのは、たとえば東日本大震災のような大きな自然災害が起きたときの日本人の対応です。被災者が避難所で整然と行動していたことをみて、海外メディアからは日本では非常時に略奪も暴動も起きないと驚きの声があがりました。海外の場合、災害などで警察が機能しなくなり「法のルール」が崩れてしまうと、略奪や暴動に結びつくこともあるでしょう。ところが日本では、そのような状況であっても避難所では「世間」が形成され、世間のルールが強力に作動するために、略奪や暴動にはならないのです。

――近年よく使われた言葉に、「空気を読む」「忖度(そんたく)」があります。これらも、「世間」につながるものでしょうか?

 「空気を読む」「忖度(そんたく)」という言葉も世間に密接に関係していると考えます。劇作家の鴻上尚史さんは「『空気』とは『世間』が流動化した状態である」と定義しています。つまり、がっちりとしていない、ゆるい「世間」が空気だといえます。「KY(空気が読めない)」は、2007年ごろから若い世代の間で広がったといわれますが、この空気に動かされるのも世間の特徴でしょう。

 森友学園問題の籠池泰典前理事長が、以前、日本外国特派員協会主催の記者会見で発した「忖度」という言葉は、通訳者が英語にうまく翻訳できなかったと記憶しています。ここでは、「空気を読んで、あらかじめ上の意向を察して、自分の行動を決定する」という意味で使われましたが、日本に特有の概念であるため、通訳者も対応に困ったのでしょう。

――日本において、世間というものはいつごろからあるのでしょうか?

万葉歌人として有名な山上憶良は「世間(よのなか)」という言葉をたびたび使っていますね。「世間(よのなか)を憂(う)しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば」などが知られています。日本では「世間」が千年も前から連綿と続いているのです。そして、日本人は、いまなお「世間」というものに縛られているのです。

佐藤直樹(さとう・なおき) 1951年生まれ。専門は世間学、刑事法学。日本世間学会幹事。著書に「目くじら社会の人間関係」「加害者家族バッシング」など。





posted by satonaoki at 17:33| NEWS