インターネットの「遠方見聞録」(2023年5月30日公開)に「『世間』と”清潔感”ー同調圧力発生の原因は『世間』にある?ー」というインタビュー記事が掲載されました。
内容は以下をご覧ください。
https://tohokenbunroku.com/article?id=8ddbgxm6fjip
テキストは以下の通りです。
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「世間」と“清潔感”
ー同調圧力発生の原因は「世間」にある?ー
「人さまに迷惑をかけたくない」――。被害者になるより加害者になることに対して恐怖するこの心理は、どのようにして生まれるのだろうか? ひとつの答えとして「世間」の存在があるという。九州工大名誉教授で刑事法学を専門とし、「世間」評論家として活動している佐藤直樹氏に聞いた。
「人さまに迷惑をかけたくない」――。被害者になるより加害者になることに対して恐怖するこの心理は、どのようにして生まれるのだろうか? 人はなぜ“清潔感”を極端に志向するのだろうか? 倫理的に“ブラック”になることに対する恐怖のあまり、徹底的に“ホワイト”を志向する傾向が強まるのは日本に特有のことなのだろうか? それらの問いに対するひとつの答えとして「世間」の存在があるという。九州工大名誉教授で刑事法学を専門とし、「世間」評論家として活動している佐藤直樹氏に聞いた。
社会を支えるのは秩序であり、その秩序を機能させるために「法」というルールは存在する。もっとも日本においては、法よりもさらに重視される「世間」というルールがある。
「世間」が同調圧力を生み出す
象徴的なのがマスク問題だ。2023年3月13日、日本においてマスクの着用は個人の主体的な選択を尊重することになった。4月に発表された政府の広報ビデオでは、「マスクをつけるかどうかは個人の判断となりました」「一人ひとりの考えを尊重しましょう」という告知がされたが、「重症化リスクが高い方への感染を防ぐため医療機関に行くときや通勤ラッシュ時などはマスクの着用を」と語尾をぼかす形でマスクの着用を促している。
ルール変更を告知するビデオでさえ、以前のルールを踏襲するかのような告知がなされる。政府広報においてさえ、そんな相反が起きてしまう。
九州工業大学名誉教授で刑事法学や世間学を専門とする佐藤直樹氏によれば、日本においては「ときに法律や権利よりも、同調圧力が行動規範となる」からだという。そしてその同調圧力によって「世間」が形成されているのが日本社会だ。
「『世間体』という言葉に象徴されるように、日本人は顔の見えない『人様』に迷惑をかけてはならないという刷り込みがなされています。”スメハラ”が典型的ですが、『加害者になる恐怖』というある種の対人恐怖的な思考に支配されています。日本人にとっては、ときに法律で定められた厳格なルールより、ぼんやりとしていても長きにわたって刷り込まれた『世間』のルールが優先されてきました」
日本における「社会」の歴史は浅い
明治維新まで日本には「社会」という言葉は存在しなかった。1875(明治8)年頃「東京日日新聞」の福地桜痴によって英語の"Society"の訳語として形成される以前は「世の中」という広い世界を指し示すのは「世間」だった。日本人の観念としては造語としての「社会」よりも「世間」のほうがなじみ深い。
実際、「世間」という言葉は1000年以上にわたり、日本人の精神構造に影響を与えてきた。9世紀に山上憶良が「貧窮問答歌」でうたった有名な和歌にも「世間」が登場する。
「この『世間』は『よのなか』と読みます。万葉集には他にも『世間』という言葉がたくさん出てきますが、まず世間ありき、とも言うべき日本人の人間関係の情緒的な成り立ちはほとんど変わっていません」
「世間」が「法律」を上回る?
一般に「社会」とは「個人や集団が互いに関わりながら暮らす、人間の組織や仕組み」を指す。その仕組みを保つために、法律などの社会的な規範やルールにのっとって秩序が構築される。
一方「世間」とは世の中で一般に広く共有される一般的な意識を指す。主体は曖昧模糊としている人間の意識の集合体であり、とらえどころがないから代弁者に対して反論がしにくく、強い同調圧力が働きやすい。佐藤氏によれば、日本人が最低3人いれば「世間」は形成されるという。
「『個人』という言葉も『社会』という訳語が生まれた直後の1884(明治17)年頃に翻訳されて登場しました。語源となった”Individual”という言葉を語源から分解すると”in”は『否定』、”divide”は『分割する』という意味。つまり『これ以上分割できない』最小単位が『個人』であって、その集合体が”Society”――社会となるのです。つまり社会とは『バラバラの個人同士の関係が法的な規律で定められた関係性』で、権利や人権などと一体となっていて、日本的で顔の見えない『人様』の意識をぼんやりと象徴する『世間』とは根本的に異なっています。明治の人がsocietyという言葉を『世間』と訳さなかったことは素晴らしい慧眼だと思います」
しかし現代の日本では、法や規律とは関係なしに過剰な清潔感を求めるような雰囲気が強くなっている。
「ターニングポイントはいくつかありますが、2007年に新語・流行語大賞にノミネートされた『KY』という言葉。『空気を読め』とはまさに同調圧力の強要にほかなりません。その頃から、体臭やたばこの煙のにおいなどに対して過剰な清潔感を求める傾向が強くなってきました」
この特集の第3章で取り上げたように、本人も対処に苦慮する”スメハラ”や“香害”、そして、壁や天井に吸着したたばこの煙の成分に対してまでも過剰な清潔感を求めるようになった。明治以降の日本では「社会(≒建前)」と「世間(≒本音)」という二重構造の行動規範が長く続いている。いや続くどころか、肥大化すらしているように見える。
日本では長く「ムラ」に象徴される中間団体と、全体主義的な「世間」が国を動かしてきた。言うなれば日本は「中間全体主義」の国と言っていい。コロナ禍における、マスク騒動や自粛警察は日本ならではの現象だ。
欧米では命令と罰則という法の運用でパンデミックに対抗した。私権を制限し、違反すれば罰則が適用される。対して日本の法には罰則を課すような強制力はなく、自粛の要請および「世間」の同調圧力の形成によってコロナ禍を乗り切ろうとした。海外では法、日本では世間、それぞれのルールで変化し続けるウイルスに向き合った。
「世間」のメリットとデメリット
「世間(体)」や「建前」「同調圧力」などの言葉が日本におけるコミュニティの本質を指し示しているとしても、それは必ずしもネガティブな事象であることを意味するわけではない。
例えば2011年に起きた東日本大震災では、家族や家屋を失った被災者が日常を冷静に過ごす様子が全世界に向けて報道された。「日本社会の緊密な形、 そのしぶとい強靭さが、光ることとなるだろう。そして日本人はおおむね、一致団結して協力するだろう」(米・NYタイムズ)と予測され、「なぜ日本人は略奪しないのか」(英・BBC)とも報道された。
欧米のように法や規制と罰則で機能する「社会」は、非常時に失われた機能の分だけ機能不全を起こしてしまう。そうした国で災害が起きたときにスーパーマーケットが略奪に遭う映像を見たことがあるだろう。一方、日本のように建前と同調圧力で形成された「世間」は法などの多少の機能が失われても全体としての同調圧力が失われなければ、建前を規範として機能させることができる。
法という明確なルールを規範とした「社会」にも、同調圧力というぼんやりとしたマナーを重視する「世間」のどちらにも良し悪しはある。
「例えば同調圧力で形成されている『世間』(日本)は圧倒的に治安がいい。殺人の発生率はアメリカの17分の1程度で、いまなお減り続けています。法律で明文化されたルールよりも遥かに厳しい縛りが課されている。一方で『世間』というコミュニティで暮らすとストレスが溜まります。言語化できない空気を読み、正しく同調できるよう、細心の注意を払う必要がある。そのストレスが積もり積もって自死へとつながったりするのです」
追い風が吹いているときはどこまでも共感してもらえるが、一度逆風になると犯罪でもないのに社会復帰すらおぼつかない――。そんな事例は、芸能人のスキャンダルや企業の不祥事など、いくつも思い浮かぶはずだ。一度「世間」で居場所を失うと名誉回復は非常に難しい。ましてや「清潔感の暴力」と言えるほどの行き過ぎたホワイト志向への解決策はあるのだろうか。
「日本社会の清潔至上主義が極端に振れたまま加速したら、その先にある『世間』には息苦しさと閉塞感しかなくなってしまう。表現の自由は萎縮し、汚れやケガレを徹底的に排除するような事件が増え、マイノリティにとって生きづらい世界になってしまいます」
だが光はある。
「『個人であれ』という姿勢を表明するような、中間全体主義へのカウンターを当てるような機運が盛り上がるといいですね。空気は読んでも従わない。軋轢を生まない程度に他人は他人、自分は自分というふうに行動規範を切り分ける。その上で、さまざまな“世間“に所属するのです。例えば趣味のサークルや通う酒場を増やし、それぞれの場所でそれぞれの関係性をつくっていく。個人として多様な世間を持つことが、世間自体に柔軟性をもたせることにもつながっていくんです」
「世間」という日本独特の規範は、運用次第で尊いものにも暴力的なものにもなる。そこに「社会」という世界標準のルールをしたたかに取り込む。その先には、硬直化した世間や杓子定規な社会が、柔軟な世界へと姿を変えていく未来が見える。
2023年05月31日
「遠方見聞録」(2023年5月30日公開)に「『世間』と”清潔感”」というインタビュー記事が掲載されました。
posted by satonaoki at 10:21| NEWS