2023年08月31日

「政経電論」(2023年8月28日公開)に「いつまでもマスクを外さない日本人−同調圧力 vs 多様性」というインタビュー記事が掲載されました。

 インターネットのサイト「政経電論」(2023年8月28日公開)に「いつまでもマスクを外さない日本人−同調圧力 vs 多様性」という、インタビュー記事が掲載されました。聞き手はフリーライターの武田信晃さんです。この「政経電論」、今回は二回目の登場になります。
https://seikeidenron.jp/articles/22834

 内容は以下の通りです。


    いつまでもマスクを外さない日本人−同調圧力 vs 多様性

 2023年5月8日から新型コロナウイルス感染症の扱いが2類相当から5類に移行して以降、街中やレジャーシーンの人出はコロナ禍前のにぎわいに戻り、2020年から続いてきたコロナ禍は終焉へと向かいつつある。ただ、一度定着したマスクをし続けている人は、この暑い夏場でも一定数存在する。厚生労働省が昨年6月、熱中症予防も兼ねて屋外でのマスク着用は必要ないとする旨のリーフレットまで配布し、2023年3月13日以降は個人の判断が基本となる旨も発信したが、日本人が外すことはなかった。
 以前、「コロナ禍と日本人論」をテーマに話を聞いた、日本世間学会幹事で九州工業大学名誉教授である佐藤直樹さんに改めて現状について聞いてみた。

 佐藤直樹
 九州工業大学名誉教授/日本世間学会幹事
 1951年生まれ、宮城県仙台市出身。専門は世間学、刑事法学。「日本世間学会」の創設に携わる。著書に『加害者家族バッシング 世間学から考える』(現代書館)、『同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか』(講談社現代新書、鴻上尚史との共著)、『なぜ自粛警察は日本だけなのか−同調圧力と「世間」−』(現代書館)などがある。
  
  “様子を見る”のが好きな日本人の国民性
 
 まずはマスク着用の意識について見てみたい。日本トレンドリサーチは4月19日、ナチュラルハウスと合同で全国の男女1000人を対象にマスク着用についてのアンケート調査の結果を発表した。「3月13日の個人の判断に変更になってからも外出する際にマスクを着用していますか?」との問いには「必ず着用している」が60.4%、「だいたい着用している」が30.0%。2つを合わせると9割にもなった。
 「5類移行になった場合のマスク着用について」問いには「引き続き着用する」が66.2%、「周りを見つつ判断する」が26.1%という回答があった。現在は、この数値はある程度下がっていると推測されるが、マスク着用義務がなくなったとたんにすぐ外す欧米との違いが際立つ。これはどちらが正しいという意味ではないが「特に周りを見てから判断する」というのは、日本らしさを表していると言えよう。

   日本を“まとめ”ている論理
 
「欧米は、マスク着用義務という法のルール、つまり『命令と罰則』で対処してきました。そうしなければ、マスク着用反対といったデモを起こすなど、彼らは言うことを聞かないからです。欧米社会をまとめるには法のルールしかないのです。
 一方、日本は、もともとマスクをすることに慣れている上、感染の恐怖があるために、政府が法律を定めずとも推奨するだけで国民が自主的にマスクを着用したので、罰則を設けるようなことはありませんでした。“推奨”が命令と罰則以上の効果を上げたのです。これは『世間』という同調圧力が作用したからで、その象徴が、感染初期の“マスク警察”でした」(佐藤直樹さん、以下同)
 戦争は始めるより止めるほうが難しいと言われているが、日本のマスクにおいても似たような状況だ。
 「コロナ禍において日本人は、『マスクをつけなければ感染症を移して人に迷惑をかけるかもしれない』と考え、積極的にマスクをつけようとしました。それは、日本の家庭では幼いときから『人に迷惑をかけてはいけない』と育てられるからです。周りも皆そう考えている人たちばかりなので、バッシングも恐れます。
 日常生活で人に迷惑をかけても法を犯していることにはならないのと同様に、マスクをつけなくても犯罪にはなりません。しかし、日本では法律違反ではないにもかかわらず、法律と同じくらい、マスクをつけなければならないという強制力が働きます。法のルールより『世間』のルールの方が強いのです。結果、周りの多くがマスクをしていたら、自分もせざるを得なくなるということが常態化しました」
 筆者は2003年に香港で発生した重症呼吸器不全症候群(SARS)を経験し、2019年から流行したCOVID-19も経験した。そう考えると、そう遠からずまた新しい感染症が広まる可能性は低くないと考えている。今回の経験を踏まえ、次の感染症で日本人は変わるだろうか?
 「変わらないでしょうね。『世間』が存在し続けているからです。Z世代が40代、50代になったときでも、今の日本人とそう変わっていないでしょう。そもそも、彼らが就職活動で着るリクルートスーツが同調圧力の際たる例ですよね」と世間はそれほど強固に、日本に根付いているとした。
  
  “自主的”にマスクを着けている人はどのくらい?
 
 【自主性】ある事柄について誰かの指示を受けずとも自ら行動できること

 最終的には個人の判断なので、マスクを「つける」「つけない」はどちらの意見も尊重されるべきだ。では、5類感染症に移行されてもマスク外さない人は「外さない?」のか「外せない?」のどちらなのか? つまり、日本人はどのくらい“自主的”に、自分の判断においてマスク着用の有無を実行しているのだろうか?
 「ほとんど個人の判断ではやっていないと思います。クリティカルマス(注:集団の中で大多数ではないが、存在を無視できなくなる分岐点、または商品やサービスの普及率が一気に跳ね上がる分岐点の普及率)は3割と言われています。逆を言えば、9割の人が外せば、“外す”という同調圧力がかかって、いま外すことに悩んでいる人も簡単に外すことになるかもしれません。日本人の行動原理はどこまでも数の問題で、自分という個人は無いのです」
 一方、マスクを着用し続けるのには別の理由もあるという。
 「かつて“だてマスク”というのが流行りましたが、病気でもないのにマスクをする理由は、『何となく落ち着く』『顔を隠せる』『視線にさらされない安心感』などです。同調圧力が強いからこそ、マスクをすることによって自分が守られている感覚があるのです。これまでマスクを着ける習慣がなかった人も、コロナ禍の3年間でマスク着用は意外に居心地が良いと感じる人が増えましたから、ますます外しにくい状況も生まれたりしました。
 ただ、これは個人が考える理由があってマスクを付けている積極的な行動ですので、むしろそれでいいと思います。これからは本当に個人が自由に判断できる社会をつくらないといけません」
 同調圧力に左右されないで、一人ひとりが気兼ねなく意思が反映できる雰囲気の醸成が重要だと佐藤さんは語った。

  同調圧力vs 多様性
 
  今の世の中は「多様性」が求められている。多様性と同調圧力は相反しそうだが……。
「相反します。日本人は言葉としての『多様性』は使っても、本当の意味では理解していないと思います。個人に基づいたものは感覚的にわからない国民性なのです。ジェンダーギャップ指数が依然として順位が低かったりする(146カ国中125位[2023年])のはそういうことです」と語る。
 同調圧力がある以上、日本はいつまでたっても世界標準になれない可能性があるが、その象徴ともいえる日本のマスクの着地点はどこにあるのか。
 「難しいですね……。日本ではいつでも“空気を読む”ことを重要視しますが、それでも空気を無視して行動する勇気が必要です。それを、社会を変える一歩にすることです」
 佐藤さんは、「新型コロナウイルス感染症によって、日本国民は、同調圧力の強さをみんなが認識した」と語る。逆にそれを意識したからこそ、同調圧力に対して「自分たちがどう考えるのか?」と考える人も出始めてきている。
 「そういう人たちが増えていくことで今後、『世間』が『社会』に変わるようになれば、日本の同調圧力も減少するでしょう」
 佐藤さんは、日本人の自主性を考えるにあたり、コロナ禍で生まれたこの意識の芽を摘み取らないことが重要だと説く。そうすれば、いずれ『世間』が個人の集合体である『社会』に変わり、同調圧力も減った先に、日本人はより自由な選択をするようになるだろう。

posted by satonaoki at 10:21| NEWS

2023年08月15日

「ダイヤモンドオイライン」(2023年8月15日公開)に「『人助けランキング』日本は世界118位、ビリから2番目に“納得の理由”」が掲載されました。

「ダイヤモンドオンライン」(2023年8月15日公開)に「『人助けランキング』日本は世界118位、ビリから2番目に“納得の理由”」が掲載されました。
https://diamond.jp/articles/-/327539

テキストはほぼ以下の通りです。
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「人助けランキング」日本は世界118位、ビリから2番目に“納得の理由”

               評論家/九州工業大学名誉教授   佐藤直樹

 イギリスの慈善団体が人々の寄付やボランティアの経験をもとに毎年公表する「人助けランキング」で日本は世界118位と下から2番目。前年は最下位だった。背景には顔見知りの人には親切でも知らない人のことは無関心で距離を置く日本特有の意識の二重構造がある。

●1位インドネシア、2位ケニア
●「人助け」と「寄付」が低い日本

イギリスに本部のあるチャリティーズ・エイド・ファンデーション(CAF)という慈善団体が、「世界寄付指数」という人助けランキングの報告書を毎年公表している。
 100 カ国以上の人々を対象としたインタビュー調査の項目は、この一カ月の間に、「見知らぬ人、または助けを必要としている知らない人を助けたか」、「慈善団体に寄付をしたか」、「ボランティアをしたか」の三つだ。
 最新の2022年度の総合順位で、トップはインドネシア、2 位ケニア、3 位はアメリカだった。人助けランキングというと、金銭的に余裕のある先進国が上位に入りやすいと思われるかもしれないが、そうではないようだ。
 さて、総合順位で日本はどのくらいかといえば、なんとビリから二番目の 118位。最下位はカンボジアなのだが、実はその前年に日本は 114位で世界最下位だったのだ(113位はポルトガル)。
したがって先進国であるG7では、当然のことながらダントツにビリだ。
また項目別ランキングでいえば、「人助け」が 118位で最下位、「寄付」が 103位、「ボランティア」が83位と、人助けと寄付がとくに低い。
 つまりこの報告書によれば、日本は世界的にもっとも人助けや寄付をしない国だということになる。本当にそうなのか、またなぜそうなるのか。
 納得の鍵は日本特有の「二重構造」にある。

●身内に親切、「見知らぬ人」は無関心
●「世間」と社会の二重構造

22年度の総合順位のトップ10カ国の上位3カ国以外は、4 位オーストラリア、5 位ニュージーランド、6 位ミャンマー、7 位シエラレオネ、8 位カナダ、9 位ザンビア、10位ウクライナだ。
この10カ国を見ると、先進国ではない国も多い。インドネシアが1 位になっているのは、イスラム教の「喜捨」という慈善の教えの影響であるとされる。またケニアなどの複数のアフリカ勢が上位に入っているのは、伝統的に「ウブントゥ」という助け合いの哲学があるからだといわれる。
たしかに、日本に来た外国人に聞くと、彼らがビックリするのは、大きな荷物を抱えて駅の階段がなかなか登れず、途方に暮れているお年寄りを見ることだという。海外だったら、ただちに誰かが声をかけ助けてくれるからだ。
 いったいなぜそうなるのか? 日本人は人に親切な国民のはずではないのか? 私の専門の世間学の立場からいえば、ここには日本に特有の問題がある。その理由を、日本における「世間」と社会の二重構造という角度から考えるとわかりやすい。
 ここでいう「世間」とは、「顔見知りの人がつくる関係」であり、社会とは「見知らぬ人がつくる関係」と定義できる。
もともと日本には、『万葉集』の時代から「世間」が存在してきたが、社会は明治時代にヨーロッパから輸入された舶来品だ。
 ただし面白いことに、ヨーロッパでも古い時代には、現在日本にあるような「世間」が存在した。ところが12世紀ぐらいから、都市化の進展とキリスト教の支配によって、それが否定され「society」 に徐々に変わっていった。日本ではこれが1877年ごろに「社会」と翻訳され、現在ではふつうに使われる言葉となったのだ。
 問題は、日本では明治以降に、伝統的な「世間」と、舶来品の社会の二重構造ができあがり、現在でも「世間」につよく縛られているために、「世間」がホンネであって、社会はタテマエにすぎないことになった点だ。
つまり日本人にとって、「顔見知りの人がつくる関係」がホンネで、「見知らぬ人がつくる関係」はタテマエであることになる。
 こういう二重構造があるために、実は日本人は「顔見知りの人」ならば「身内」と呼んで親切にするし、全力で助ける。ところが社会がタテマエにすぎないために、「見知らぬ人」は「あかの他人」と呼び、ほとんど無関心で、助けることをしないのだ。
端的にいって、駅の階段で困っているお年寄りを助けないのは、その人が自分の「世間」に属する「顔見知りの人」ではなく、社会に属する「見知らぬ人」だからだ。
 また「世間」のなかには、お中元・お歳暮に代表される「お返し」ルールがあるために、「無償の贈与」が成り立ちにくいという問題がある。日本人はモノをもらったら、必ずそれに見合ったモノを「お返し」しければならないと思っている。これはモノに限らない。 ラインの「既読無視」が問題になるのもは、メッセージを受け取っているのに返信しないという、あえて「お返し」しない態度が、つよく非難されるからだ。

●欧米ではキリスト教の影響で
●「お返し」存在せず「無償の贈与」に

 ところで意外に思われるかもしれないが、現在「世間」が存在しない欧米では、この「お返し」ルールは存在しない。キリスト教会がそれを否定したからだ。
たとえば『新約聖書』ルカ14章は、食事の会を催す場合には友人や近所の金持ちなどは招かずに、貧しい人、体の不自由な人などを招きなさい。なぜなら金持ちはお返しできるが、貧しい人はできないからだ。そうすれば正しい者が復活するときに、あなたは報われる、と説いている。
 これによって、当時、欧州に存在した現世の「お返し」ルールを否定し、それを神との関係に変えて、「お返し」は来世にありますと、贈与慣行を転換させたのだ。
欧米でにおいてはこれが、死後の救済を求める教会への寄進となり、さらに公共施設や慈善団体などへの巨額の寄付として、現世では見返りを求めない「無償の贈与」につながってゆく。
 欧米における大規模な寄付の成立の根底には、こうしたキリスト教による贈与慣行の転換があった。日本で寄付などの「無償の贈与」の文化が育たなかったのは、欧州のように「世間」が否定される歴史がなかったために、現在でも見返りを求める「有償の贈与」、すなわち「お返し」ルールが強固に残っているからだ。
 項目別ランキングで「寄付」が最下位なのは、まさにこれを象徴している。

●個人の実名の寄付は叩かれる?
●「出る杭は打たれる」のルール
 
日本は「誹謗・中傷大国」だといわれるが、しばしば実名での寄付がインターネットで叩かれるのも、この二重構造と関係がある。
「世間」には「みんな同じ」でなければならないとする、日本に特有の「出る杭は打たれる」ルールがあるため、妬み意識がきわめてつよく、じつはこれが寄付の大きな障害となっているのだ。
 少し前のことになるが、2016年の熊本地震のさいにタレントの紗栄子さんが、熊本県に約500 万の義援金を出したことを、インスタグラムで公表した。ところがネットの一部から、「わざわざ投稿する必要ないと思いますけど」「金額をいうのは下品」「偽善と売名のにおいがする」といった批判が噴出したのだ。
 つまり実名(この場合は芸名だが)での寄付は、「出る杭は打たれる」ルールがあるために、「世間」から妬まれ叩かれる可能性があるということだ。
この点については、たとえば2010年〜11年にかけて、『タイガーマスク』の主人公「伊達直人」を名乗って、児童施設などにランドセルを贈る「タイガーマスク運動」が全国に広がったことがあった。
 しかし運動が全国的に大きな流れとなったのは、「伊達直人」という匿名の寄付だったからで、これがもし実名であったら、紗栄子さんのように「売名行為」と叩かれた可能性がある(2016年になって「伊達直人」は顔や実名を公表した)。
 アメリカあたりだと、マイクロソフト元会長のビル・ゲイツ氏は、「ビル&メリンダ・ゲイツ財団」という世界最大の慈善基金団体をつくり、巨額の寄付をおこなっている。これが叩かれたという話は聞いたことがない。日本では個人の実名による寄付は、妬まれたり叩かれたりするので成り立ちにくいのだ。

 ●ボランティア活動広がれば
 ●「風穴」を開ける契機に

 では、どうすればよいのか。むろん日本人は、他国と比べてとくに意地悪なわけではない。「世間」の人間同士は助け合うのだから、これを社会に広げればよいのだ。
そこで着目すべきは、項目別ランキングが比較的高い「ボランティア」だ。
すぐに思い出すのは、2011年の東日本大震災のさいのボランティアの活躍だ。こうした災害などの際のボランティアはその前から徐々に増えてきていたが、この積み重ねが、連綿と続いてきた「世間」と社会の二重構造に、風穴を開ける契機になるのではないかと思う。



posted by satonaoki at 11:20| NEWS