2018年07月14日

「青少年問題」671号(2018年7月1日発行)に「自著を語る」が掲載されました。

 2018年7月1日に発行された「青少年問題」(671号)に「自著を語る」が掲載されました。『目くじら社会の人間関係』(講談社+α新書、2017年)について書いたものです。
 http://www.seishonen.net/mag/new
  なお内容は以下の通りです。

 日本では犯罪加害者の家族が、「世間」に謝罪しなければならないのは当然だと思われている。犯罪が重大であればあるほど、当事者が著名人であればあるほど、「世間」の非難の度合いは大きくなる。昨今のメディアでは、家族が犯罪等の不祥事を起こした芸能人が記者会見を開き、「世間」に謝罪するシーンがごく日常的な光景となっている。
 意外に思われるかもしれないが、このようなことは、欧米社会ではまずありえない。なぜか? 本書で述べたように、私の答えは簡単である。欧米には、日本にあるような「世間」がないからである。近年日本が、些細なことに目くじらを立てるようになり、頻繁にネットが炎上する「目くじら社会」となったのは、明治以降の近代化によって消滅すると一般には思われてきた「世間」が、逆に復活・強化されてきたからである。
 私の感じでは、この種の「世間」によるバッシングが目立つようになったのは、一九九〇年代末ぐらいからであり、これは刑事司法における厳罰化とパラレルに起きている。その根底にあったのは、全世界的なグローバリズムの進展であり、これによって日本でも、A・ギデンズのいう共同体や宗教的世界への「再埋め込み」が生じたのである。
 欧米における「再埋め込み」は、英国のEU離脱や米国のトランプ大統領誕生に象徴されるように、人種・民族・宗教的対立の激化として現われた。だが、こうした対立がさほど先鋭化していない日本では、「再埋め込み」は共同体としての「世間」に向かった。
 すなわち、伝統的な「世間」の復活・強化によって、「空気読め」という同調圧力が強まり、閉塞感や息苦しさが増した。いまやネットの「匿名性」によって、訳の分からないバッシングや人権侵害に、全く歯止めがきかなくなったように思える。本書は、ここから生じた様々な社会問題を解析し、その対処法を世間学の立場から示したものである。

佐藤直樹(さとうなおき)
現代評論家・九州工業大学名誉教授







posted by satonaoki at 10:20| NEWS