2021年10月19日

「教職研修」(2021年11月号)に「日本社会に蔓延する『同調圧力』」が掲載されました。

月刊「教職研修」2021年11月号の「学校の『横並び文化』はこのままでよいのか?−『誰一人取り残さない教育』の実現に向けて」という特集のなかで、「日本社会に蔓延する『同調圧力』」が掲載されました。
 https://www.kyouiku-kaihatu.co.jp/bookstore/products/detail/102111
 
 内容は以下の通りです。

  〔ポイント〕
  同調圧力の根本にあるのは、日本
  特有の伝統的「世間」だ。学校も「世
  間」なので、「法のルール」はタテマ
  エにすぎず、「世間のルール」こそが
  ホンネ。いま必要なのは、合理的根
  拠のない「謎ルール」を整理し、廃止
  することだ。

 新型コロナ禍が図らずも露呈させたのは、海外ではありえない「自粛警察」の登場に象徴されるような、日本における同調圧力の異様な強さだ。同調圧力とは、「少数意見を持つ人、あるいは異論を唱える人に対して、暗黙のうちに周囲の多くの人と同じように行動するよう強制すること」と定義できる。
 実はこの同調圧力の根本にあるのは、「感染より世間の目が心配」と多くの人が語り、感染者や家族が「世間」への謝罪を強いられたように、日本特有の「世間」である。「世間」とは人間関係のあり方のことだが、英語に翻訳できない。society でもworld でも、community でもない。概念が存在しないということは、少なくともいま英語圏には存在しないということだ。

  では、「世間」とは
  いったい何か?

 「世間」は、『万葉集』の山上憶良の「貧窮問答歌」にも登場し、千年以上の歴史がある。おもしろいことにコトバの意味は、現在のものとまったく変わらない。極端にいえば、これだけスマホが発達し、コミュニケーション手段が電子化されているにもかかわらず、日本人の人間関係のあり方は、千年以上ほとんど変わっていない。
 「世間」はきわめて古い歴史をもつため、「友引の日には葬式をしない」など、そこにはたくさんの伝統的な「世間のルール」が存在する。日本の同調圧力の強さの根底には、これらの「世間のルール」があり、たとえそれが合理的根拠のない「謎ルール」であっても、日本人はじつに律儀にこれを守ってきた。
 意外に思われるかもしれないが、実はヨーロッパでも12世紀以前には、日本の「世間」と同じような人間関係があり、人々はたくさんの「世間のルール」にしばられていた。しかしこの「世間」は、都市化やキリスト教の支配などによって次第に消滅し、「法のルール」から構成されるsociety に徐々に変わったのだ。
 これが明治時代の近代化=西欧化とともに輸入され、1877年ごろに「社会」と翻訳された。当時の人がsociety をそれまであった「世間」と訳さなかったのは、それが人間の尊厳や権利や人権と一体の概念であり、江戸時代まではなかったことが、はっきりと分かったからだ。
 この社会というコトバは、いまは普通に使われるが、現在でも実体がともなっていない。「世間」が消滅した現在の欧米には、「法のルール」から成り立つ社会しかないが、明治以降の日本は、伝統的な「世間」と、近代的な社会の二重構造に支配されることになった。この二重構造がやっかいな点は、土台である「世間」の上に社会がちょこんと乗っかったかたちをしていて、社会(法のルール)はあくまでもタテマエで、「世間」(のルール)こそホンネとして機能していることにある。

  大事なのは、合理的根拠のない
  「謎ルール」を整理し、
  廃止すること

 「世間」とは「日本人が集団になったときに発生する力学」なのだが、学校もまた典型的な「世間」にほかならない。だからそこにも、社会(法のルール)がタテマエで、「世間」(のルール)がホンネの二重構造がある。これが学校の息苦しさを生み出しているのだ。
 やや細かく見れば、学校間において「横並び意識」に代表されるような同調圧力があり、この種の同調圧力は学級間や教員間においても存在する。また子ども間においても、私のいう「プチ世間」から生じる同調圧力がある。これらの総体によって日本の学校は、教育を通じて「世間」を再生産する巨大な装置となっているのだ。こうした負の再生産を断ち切るために、学校は変わる必要がある。
 息苦しさという点では、たとえば、社会の「法のルール」に照らせば、人権侵害としかいいようがないブラック校則。ここでは合理的根拠のない「謎ルール」がホンネで、「法のルール」はタテマエにすぎないために、学校では人権というコトバにさっぱりリアリティがない。
 また教員間で、「みんなが仕事しているのに先に帰ることは許されない」という同調圧力が生ずるのは、「みんな同じ時間を生きている」(共通の時間意識)という「世間のルール」が、勤務時間の終了という「法のルール」より優先されるからだ。
 いま息苦しさから脱出するために必要なのは、学校という職場で作動している「法のルール」と「世間のルール」を峻別し、合理的根拠のない「謎ルール」を整理し、廃止することだ。そうすれば学校は、もう少し風通しがよくなるのではないか。

posted by satonaoki at 09:47| NEWS