「ダイヤモンドオンライン」(2023年8月15日公開)に「『人助けランキング』日本は世界118位、ビリから2番目に“納得の理由”」が掲載されました。
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テキストはほぼ以下の通りです。
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「人助けランキング」日本は世界118位、ビリから2番目に“納得の理由”
評論家/九州工業大学名誉教授 佐藤直樹
イギリスの慈善団体が人々の寄付やボランティアの経験をもとに毎年公表する「人助けランキング」で日本は世界118位と下から2番目。前年は最下位だった。背景には顔見知りの人には親切でも知らない人のことは無関心で距離を置く日本特有の意識の二重構造がある。
●1位インドネシア、2位ケニア
●「人助け」と「寄付」が低い日本
イギリスに本部のあるチャリティーズ・エイド・ファンデーション(CAF)という慈善団体が、「世界寄付指数」という人助けランキングの報告書を毎年公表している。
100 カ国以上の人々を対象としたインタビュー調査の項目は、この一カ月の間に、「見知らぬ人、または助けを必要としている知らない人を助けたか」、「慈善団体に寄付をしたか」、「ボランティアをしたか」の三つだ。
最新の2022年度の総合順位で、トップはインドネシア、2 位ケニア、3 位はアメリカだった。人助けランキングというと、金銭的に余裕のある先進国が上位に入りやすいと思われるかもしれないが、そうではないようだ。
さて、総合順位で日本はどのくらいかといえば、なんとビリから二番目の 118位。最下位はカンボジアなのだが、実はその前年に日本は 114位で世界最下位だったのだ(113位はポルトガル)。
したがって先進国であるG7では、当然のことながらダントツにビリだ。
また項目別ランキングでいえば、「人助け」が 118位で最下位、「寄付」が 103位、「ボランティア」が83位と、人助けと寄付がとくに低い。
つまりこの報告書によれば、日本は世界的にもっとも人助けや寄付をしない国だということになる。本当にそうなのか、またなぜそうなるのか。
納得の鍵は日本特有の「二重構造」にある。
●身内に親切、「見知らぬ人」は無関心
●「世間」と社会の二重構造
22年度の総合順位のトップ10カ国の上位3カ国以外は、4 位オーストラリア、5 位ニュージーランド、6 位ミャンマー、7 位シエラレオネ、8 位カナダ、9 位ザンビア、10位ウクライナだ。
この10カ国を見ると、先進国ではない国も多い。インドネシアが1 位になっているのは、イスラム教の「喜捨」という慈善の教えの影響であるとされる。またケニアなどの複数のアフリカ勢が上位に入っているのは、伝統的に「ウブントゥ」という助け合いの哲学があるからだといわれる。
たしかに、日本に来た外国人に聞くと、彼らがビックリするのは、大きな荷物を抱えて駅の階段がなかなか登れず、途方に暮れているお年寄りを見ることだという。海外だったら、ただちに誰かが声をかけ助けてくれるからだ。
いったいなぜそうなるのか? 日本人は人に親切な国民のはずではないのか? 私の専門の世間学の立場からいえば、ここには日本に特有の問題がある。その理由を、日本における「世間」と社会の二重構造という角度から考えるとわかりやすい。
ここでいう「世間」とは、「顔見知りの人がつくる関係」であり、社会とは「見知らぬ人がつくる関係」と定義できる。
もともと日本には、『万葉集』の時代から「世間」が存在してきたが、社会は明治時代にヨーロッパから輸入された舶来品だ。
ただし面白いことに、ヨーロッパでも古い時代には、現在日本にあるような「世間」が存在した。ところが12世紀ぐらいから、都市化の進展とキリスト教の支配によって、それが否定され「society」 に徐々に変わっていった。日本ではこれが1877年ごろに「社会」と翻訳され、現在ではふつうに使われる言葉となったのだ。
問題は、日本では明治以降に、伝統的な「世間」と、舶来品の社会の二重構造ができあがり、現在でも「世間」につよく縛られているために、「世間」がホンネであって、社会はタテマエにすぎないことになった点だ。
つまり日本人にとって、「顔見知りの人がつくる関係」がホンネで、「見知らぬ人がつくる関係」はタテマエであることになる。
こういう二重構造があるために、実は日本人は「顔見知りの人」ならば「身内」と呼んで親切にするし、全力で助ける。ところが社会がタテマエにすぎないために、「見知らぬ人」は「あかの他人」と呼び、ほとんど無関心で、助けることをしないのだ。
端的にいって、駅の階段で困っているお年寄りを助けないのは、その人が自分の「世間」に属する「顔見知りの人」ではなく、社会に属する「見知らぬ人」だからだ。
また「世間」のなかには、お中元・お歳暮に代表される「お返し」ルールがあるために、「無償の贈与」が成り立ちにくいという問題がある。日本人はモノをもらったら、必ずそれに見合ったモノを「お返し」しければならないと思っている。これはモノに限らない。 ラインの「既読無視」が問題になるのもは、メッセージを受け取っているのに返信しないという、あえて「お返し」しない態度が、つよく非難されるからだ。
●欧米ではキリスト教の影響で
●「お返し」存在せず「無償の贈与」に
ところで意外に思われるかもしれないが、現在「世間」が存在しない欧米では、この「お返し」ルールは存在しない。キリスト教会がそれを否定したからだ。
たとえば『新約聖書』ルカ14章は、食事の会を催す場合には友人や近所の金持ちなどは招かずに、貧しい人、体の不自由な人などを招きなさい。なぜなら金持ちはお返しできるが、貧しい人はできないからだ。そうすれば正しい者が復活するときに、あなたは報われる、と説いている。
これによって、当時、欧州に存在した現世の「お返し」ルールを否定し、それを神との関係に変えて、「お返し」は来世にありますと、贈与慣行を転換させたのだ。
欧米でにおいてはこれが、死後の救済を求める教会への寄進となり、さらに公共施設や慈善団体などへの巨額の寄付として、現世では見返りを求めない「無償の贈与」につながってゆく。
欧米における大規模な寄付の成立の根底には、こうしたキリスト教による贈与慣行の転換があった。日本で寄付などの「無償の贈与」の文化が育たなかったのは、欧州のように「世間」が否定される歴史がなかったために、現在でも見返りを求める「有償の贈与」、すなわち「お返し」ルールが強固に残っているからだ。
項目別ランキングで「寄付」が最下位なのは、まさにこれを象徴している。
●個人の実名の寄付は叩かれる?
●「出る杭は打たれる」のルール
日本は「誹謗・中傷大国」だといわれるが、しばしば実名での寄付がインターネットで叩かれるのも、この二重構造と関係がある。
「世間」には「みんな同じ」でなければならないとする、日本に特有の「出る杭は打たれる」ルールがあるため、妬み意識がきわめてつよく、じつはこれが寄付の大きな障害となっているのだ。
少し前のことになるが、2016年の熊本地震のさいにタレントの紗栄子さんが、熊本県に約500 万の義援金を出したことを、インスタグラムで公表した。ところがネットの一部から、「わざわざ投稿する必要ないと思いますけど」「金額をいうのは下品」「偽善と売名のにおいがする」といった批判が噴出したのだ。
つまり実名(この場合は芸名だが)での寄付は、「出る杭は打たれる」ルールがあるために、「世間」から妬まれ叩かれる可能性があるということだ。
この点については、たとえば2010年〜11年にかけて、『タイガーマスク』の主人公「伊達直人」を名乗って、児童施設などにランドセルを贈る「タイガーマスク運動」が全国に広がったことがあった。
しかし運動が全国的に大きな流れとなったのは、「伊達直人」という匿名の寄付だったからで、これがもし実名であったら、紗栄子さんのように「売名行為」と叩かれた可能性がある(2016年になって「伊達直人」は顔や実名を公表した)。
アメリカあたりだと、マイクロソフト元会長のビル・ゲイツ氏は、「ビル&メリンダ・ゲイツ財団」という世界最大の慈善基金団体をつくり、巨額の寄付をおこなっている。これが叩かれたという話は聞いたことがない。日本では個人の実名による寄付は、妬まれたり叩かれたりするので成り立ちにくいのだ。
●ボランティア活動広がれば
●「風穴」を開ける契機に
では、どうすればよいのか。むろん日本人は、他国と比べてとくに意地悪なわけではない。「世間」の人間同士は助け合うのだから、これを社会に広げればよいのだ。
そこで着目すべきは、項目別ランキングが比較的高い「ボランティア」だ。
すぐに思い出すのは、2011年の東日本大震災のさいのボランティアの活躍だ。こうした災害などの際のボランティアはその前から徐々に増えてきていたが、この積み重ねが、連綿と続いてきた「世間」と社会の二重構造に、風穴を開ける契機になるのではないかと思う。
2023年08月15日
「ダイヤモンドオイライン」(2023年8月15日公開)に「『人助けランキング』日本は世界118位、ビリから2番目に“納得の理由”」が掲載されました。
posted by satonaoki at 11:20| NEWS