週刊『ダイヤモンド』(2023年9月9日号)に、「世界の『人助けランキング』 ビリから2番目に”納得の理由”」が掲載されました。
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https://diamond.jp/articles/-/327539
テキストは、ほぼ以下の通りです。
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イギリスに本部のあるチャリティーズ・エイド・ファンデーションという慈善団体が、「世界寄付指数」という人助けランキングの報告書を毎年公表している。
100ヵ国以上の人々を対象としたインタビュー調査の項目は、この一ヵ月の間に、「見知らぬ人、または助けを必要としている知らない人を助けたか」、「慈善団体に寄付をしたか」、「ボランティアをしたか」の三つだ。
最新の2022年度の総合順位で、トップはインドネシア、2位はケニア、3位は米国だった。
日本は118位で、最下位のカンボジアのすぐ上、実は前年は114位で世界最下位だった(113位はポルトガル)。
また項目別ランキングでいえば、「人助け」が 118位、「寄付」が 103位、「ボランティア」が83位と、人助けと寄付が特に低い。
総合順位のトップ10ヵ国の上位3ヵ国以外は、4位オーストラリア、5位ニュージーランド、6位ミャンマー、7位シエラレオネ、8位カナダ、9位ザンビア、10位ウクライナだ。
この10カ国をみると、先進国ではない国も多い。インドネシアが1位になっているのは、イスラム教の「喜捨」という慈善の教えの影響であるとされる。
ケニアなどの複数のアフリカ勢が上位に入っているのは、伝統的に「ウブントゥ」という助け合いの哲学があるからだといわれる。経済力だけでなく、その国の社会や人々の生活に根着いてきたさまざま要因があるようだ。
●「見知らぬ人」には無関心
●「世間」と「社会」の二重構造
日本に来た外国人に聞くと、彼らがびっくりするのは、大きな荷物を抱えて駅の階段をなかなか上がれず、途方に暮れているお年寄りを見ることだという。海外だったら、ただちに誰かが声を掛け助けてくれるからだ。
いったいなぜそうなるのか? 日本人は人に親切な国民のはずではないのか?
私の専門の世間学からいえば、その理由を日本における「世間」と社会の二重構造という角度から考えるとわかりやすい。
ここでいう世間とは、「顔見知りの人がつくる関係」であり、社会とは「見知らぬ人がつくる関係」と定義できる。
日本には、『万葉集』の時代から世間が存在してきたが、社会は明治時代にヨーロッパから輸入された舶来品だ。
欧州でも古い時代には、現在の日本にあるような世間が存在した。ところが12世紀ごろから都市化の進展とキリスト教の支配によって、それが否定され「society」 に徐々に変わっていった。日本では1877年ごろ「社会」と翻訳され、現在では普通に使われる言葉となったのだ。
問題は、日本では明治以降に、伝統的な世間と舶来品の社会の二重構造ができあがり、現在でも世間に強く縛られているために、世間がホンネであって、社会はタテマエにすぎないことになった点だ。
つまり日本人にとって、「顔見知りの人がつくる関係」がホンネで、「見知らぬ人がつくる関係」はタテマエであることになる。
日本人は「顔見知りの人」ならば「身内」と呼んで親切にするし全力で助けるのだが、社会がタテマエにすぎないために、「見知らぬ人」は「あかの他人」と呼び、ほとんど無関心で、助けることをしないのだ。
端的にいって、駅の階段で困っているお年寄りを助けないのは、その人が自分の世間に属する顔見知りの人ではなく、社会に属する見知らぬ人だからだ。
また世間の中には、お中元・お歳暮に代表される「お返し」ルールがあるために、「無償の贈与」が成り立ちにくいという問題がある。
日本人はモノをもらえば必ずそれに見合ったモノを「お返し」なければならないと思っている。これはモノに限らない。ラインの「既読無視」が問題になるのも、メッセージを受け取っているのに返信しないという、「お返し」しない態度が非難されるからだ。
意外に思われるかもしれないが、現在世間が存在しない欧米では、このお返しルールは存在しない。キリスト教会がそれを否定したからだ。
例えば『新約聖書』ルカ14章では、食事の会を催す場合には友人や近所の金持ちなどは招かずに、貧しい人、体の不自由な人などを招きなさいと書かれている。
なぜなら金持ちはお返しできるが、貧しい人はできないからだ。
そうすれば正しい者が復活するときに、あなたは報われると聖書は説くのだ。
これによって、欧州では、当時、存在した現世の「お返し」ルールを否定し、それを神との関係に変えて、お返しは来世にありますと、贈与慣行を転換させたのだ。
欧米ではこれが、死後の救済を求める教会への寄進となり、さらに公共施設や慈善団体への巨額の寄付として、現世では見返りを求めない無償の贈与につながってゆく。大規模な寄付の成立の根底には、こうしたキリスト教による贈与慣行の転換があった。
日本で寄付などの無償の贈与の文化が育たなかったのは、欧州のように世間が否定される歴史がなかったために、現在でも見返りを求める「有償の贈与」、「お返し」ルールが強固に残っているからだ。
項目別ランキングで寄付の順位が低いのは、まさにこれを象徴している。
●ボランティア活動広がれば
●「風穴」をあける契機に
日本でしばしば実名での寄付がインターネットで叩かれるのも、この二重構造と関係がある。
世間には「みんな同じ」でなければならないとする、日本に特有の「出る杭は打たれる」ルールがあるため、妬み意識がきわめて強く、じつはこれが寄付の大きな障害となっているのだ。
少し前のことだが、16年の熊本地震の際にタレントの紗栄子さんが、熊本県に約500万円の義援金を出したことを、インスタグラムで公表した。
ところがネットの一部から、「わざわざ投稿する必要ないと思いますけど」「金額をいうのは下品」「偽善と売名のにおいがする」といった批判が噴出した。
一方で例えば10年〜11年にかけて、『タイガーマスク』の主人公「伊達直人」を名乗って、児童施設などにランドセルを贈る「タイガーマスク運動」が全国に広がったことがあった。
運動が全国的に大きな流れとなったのは、「伊達直人」という匿名の寄付だったからだ。これがもし実名だったら、「売名行為」とたたかれた可能性がある(16年になって「伊達直人」は顔や実名を公表した)。
米国あたりだと、マイクロソフト元会長のビル・ゲイツ氏は、ビル&メリンダ・ゲイツ財団という世界最大の慈善基金団体をつくり、巨額の寄付を行っている。これがたたかれたという話は聞いたことがない。
では、どうすればよいのか?
むろん日本人は、他国と比べてとくに意地悪なわけではない。世間の人間同士は助け合うのだから、これを社会に広げればよいのだ。
そこで着目すべきは、項目別ランキングの順位が比較的高いボランティアだ。
すぐに思い出すのは、11年の東日本大震災の際のボランティアの活躍だろう。災害などの際のボランティアはその前から徐々に増えてきていたが、この積み重ねが、連綿と続いてきた世間と社会の二重構造に、風穴を開ける契機になると思う。
2023年11月06日
週刊『ダイヤモンド』2023年9月9日号に「世界の『人助けランキング』 ビリから2番目に”納得の理由”」が掲載されました。
posted by satonaoki at 15:59| NEWS