2018年10月04日

2018年9月27日、文化放送「斉藤一美ニュースワイドSAKIDORI!」に電話出演しました。

 文化放送「斉藤一美ニュースワイドSAKIDORI!」の「ニュースオフサイド」に電話出演しました(2018年9月27日)。テーマは「加害者家族の過酷な現実」。これまで犯罪加害者家族をめぐる問題については、ほとんど語られてきませんでした。加害者家族支援が、いまなぜ必要なのかについて話しました。
 番組内容は以下の通りです。
http://www.joqr.co.jp/sakidori/2018/09/27/#042319

 気になるニュースをサキドリする『ニュースオフサイド』では、加害者家族が直面する過酷な現実に迫り、支援のあり方を考えました。
 まず、電話を繋いでお話を伺ったのは、 加害者家族を支援するNPO法人「ワールド・オープン・ハート」の理事長で、 これまでに1300件以上の相談を受けてきた、阿部恭子さん。
 寄せられる相談は殺人を犯した人の家族からが最も多く、100件以上にも及ぶといいます。
「家族への影響は孫の代まで続き、結婚するとき、 祖父の犯歴が問題になるのでは、と心配する孫から相談を受けたことも。加害者家族の40%が結婚が破談になっていたり転居を迫られる。」など、理不尽な状況を話してくださいました。
 経済的に困窮するケースも多く、 近づいてきた宗教団体や霊媒師から高額な請求をされるケースも報告されているようです。
 西村志野記者は新橋で街の声をレポート。 「罪を犯した本人だけでなく、その家族まで社会的制裁を受けること」について、 「家族は関係ない」「気の毒だ」という声がほとんどでしたが、「被害者のことを考えると...」と、ハッキリ言いきれない方も多かったということでした。
 「再犯防止」「自殺防止」のためにも加害者家族の支援が必要という考えを示してくれたのが、 刑法学者で九州工業大学の名誉教授、佐藤直樹さん。
 実名報道を避け、匿名とまではいかなくても容疑者をつけずに敬称で呼ぶなどの配慮や、「ワールド・オープン・ハート」のような組織をもっと作る必要があると語ってくださいました。

 なお、以下のサイトで番組を聞くことができます。
http://firestorage.jp/download/a7d9788374958064e4227944b746ab1f2aa03d3cl4y0ylvvck
posted by satonaoki at 14:41| NEWS

2018年08月04日

「北海道新聞」(2018年8月4日)に「起訴前の呼称 見直しを」が掲載されました。

 「北海道新聞」(2018年8月4日)の「各自核論」のコーナーに、「起訴前の呼称 見直しを」が掲載されました。4月に元TOKIOの山口達也さんが強制わいせつ事件で書類送検されたさいに、メディアでの呼称が「容疑者」と「メンバー」に分かれた問題について考察し、起訴前の呼称として、容疑者をやめ、すべて肩書または敬称をつけるべきだと主張したものです。
 内容は以下の通りです。

     「容疑者」と「メンバー」 起訴前の呼称 見直しを 
                                          佐藤直樹
 4月に元TOKIOの山口達也さんが、強制わいせつ事件で書類送検された時に、メディアによって呼称が分かれた。「メンバー」と呼ぶものが多く、「容疑者」を使うものもあった。しかし5月に起訴猶予処分になると、今度は多くが「さん」づけに変わった。こうなるのは、現在日本のメディアでは、逮捕された場合には容疑者と呼ぶことに一応なっているが、書類送検の場合は明確な基準がなく、判断が微妙だからだ。
 メンバーという不思議な呼称は、所属事務所への「忖度」があったのではないかと批判された。だがそんなことよりも、私はここにかなり根の深い問題があると考えている。まず、何人も有罪が確定するまでは無罪と推定されるという、「無罪推定の原則」の問題である。これが「世間」ではほとんど信じられていない。逮捕された場合だけでなく、警察の取り調べを受けただけで、犯人視されるのが日本ではふつうのことだからだ。
 意外に思われるかもしれないが、逮捕や任意捜査などをへて検察庁が毎年処理する人員(少年を含む)のうち、起訴されるのは3割程度(その7割以上が略式起訴)。有罪でもほとんどが罰金刑になり、実刑は人員全体の2%程度。じつに6割以上が不起訴(起訴猶予を含む)、つまり無罪となる。これは、呼称においても無罪推定が必要であることを示している。
 もう一つ問題がある。日本で肩書や敬称に異様にこだわるのは、西欧社会とは異なり、「世間」が上下関係にきわめて敏感な身分社会だからである。たしかにメンバーと容疑者では、まるでニュアンスがちがう。このことは、英語との比較をするとよくわかる。
 たとえば英語のYOUは、相手が友達だろうが大統領だろうがすべてYOUで済む。つまりタメ口でよろしい。ところが、日本語の二人称は「あなた」「君」「お前」「てめえ」「貴様」など数限りなくあり、日本人はこれを相手との上下関係、つまり身分によって瞬時に使い分けている。無意識ではあるが、だれでもこの複雑な作業をやっているのだ。
 こうした使い分けが必要なのは、「世間」が年上・年下、目上・目下、格上・格下、先輩・後輩などの上下関係からできていて、その身分に合わせて言葉を選ばないといけないからだ。適切に言葉を選ばないと「世間知らず」とみなされる。初対面の人と名刺交換が必須なのは、まず相手の身分を確認しないと言葉を使えないからである。
 英語がYOU一つで済むのは、社会のなかで「法の下の平等」という大方の合意があるからだ。しかし日本では人は平等ではない。タメ口ではまずいのだ。そのため「世間」では、どういう肩書がつくかがきわめて重要であり、人々にとって一大関心事となっている。容疑者は犯罪者と同じ意味だし、とくに呼び捨てにすることは侮辱的な意味をもつ。
 じつは日本では1989年まで、メディアは逮捕された人間を平気で呼び捨てにしていた。その後、無罪推定や人権の観点から容疑者の肩書をつけるようになったのだ。この点で、山口さんの謝罪会見を伝えた4月26日付「ニューヨーク・タイムズ」(電子版)は、ミスターなしの呼び捨てである。しかし英語圏では肩書や敬称なしの呼び捨てでも、とくに侮蔑的な意味はないという。人は平等だという前提があるからである。
 10年ほど前にも、「ロス疑惑」の三浦和義さんがサイパンで米当局に逮捕されたさいに、「元社長」と「容疑者」に呼称が分かれた。この時に私は某紙の「新聞時評」で、容疑者の呼称をやめ、起訴までは肩書や敬称をつけるべきだと主張した。が、その後も議論が進む気配はない。そろそろ本気で考えてもよいのではないか。

(著者紹介)さとうなおき 1951年宮城県生まれ。現代評論家。専門は世間学、現代評論、刑事法学。「日本世間学会」幹事。著書に「目くじら社会の人間関係」「犯罪の世間学」など多数。


posted by satonaoki at 13:37| NEWS

2018年07月14日

「青少年問題」671号(2018年7月1日発行)に「自著を語る」が掲載されました。

 2018年7月1日に発行された「青少年問題」(671号)に「自著を語る」が掲載されました。『目くじら社会の人間関係』(講談社+α新書、2017年)について書いたものです。
 http://www.seishonen.net/mag/new
  なお内容は以下の通りです。

 日本では犯罪加害者の家族が、「世間」に謝罪しなければならないのは当然だと思われている。犯罪が重大であればあるほど、当事者が著名人であればあるほど、「世間」の非難の度合いは大きくなる。昨今のメディアでは、家族が犯罪等の不祥事を起こした芸能人が記者会見を開き、「世間」に謝罪するシーンがごく日常的な光景となっている。
 意外に思われるかもしれないが、このようなことは、欧米社会ではまずありえない。なぜか? 本書で述べたように、私の答えは簡単である。欧米には、日本にあるような「世間」がないからである。近年日本が、些細なことに目くじらを立てるようになり、頻繁にネットが炎上する「目くじら社会」となったのは、明治以降の近代化によって消滅すると一般には思われてきた「世間」が、逆に復活・強化されてきたからである。
 私の感じでは、この種の「世間」によるバッシングが目立つようになったのは、一九九〇年代末ぐらいからであり、これは刑事司法における厳罰化とパラレルに起きている。その根底にあったのは、全世界的なグローバリズムの進展であり、これによって日本でも、A・ギデンズのいう共同体や宗教的世界への「再埋め込み」が生じたのである。
 欧米における「再埋め込み」は、英国のEU離脱や米国のトランプ大統領誕生に象徴されるように、人種・民族・宗教的対立の激化として現われた。だが、こうした対立がさほど先鋭化していない日本では、「再埋め込み」は共同体としての「世間」に向かった。
 すなわち、伝統的な「世間」の復活・強化によって、「空気読め」という同調圧力が強まり、閉塞感や息苦しさが増した。いまやネットの「匿名性」によって、訳の分からないバッシングや人権侵害に、全く歯止めがきかなくなったように思える。本書は、ここから生じた様々な社会問題を解析し、その対処法を世間学の立場から示したものである。

佐藤直樹(さとうなおき)
現代評論家・九州工業大学名誉教授







posted by satonaoki at 10:20| NEWS