2019年11月17日

「北海道新聞」(2019年11月16日)に「ひきこもり115万人の衝撃」が掲載されました。

 2019年11月16日に「北海道新聞」の「各自核論」のコーナーに、「ひきこもり115万人の衝撃 迷惑かけない思考決別を」が掲載されました。
 日本に特有のひきこもりの背景には、学校にせよ職場にせよ、他国にはないような「世間」の同調圧力の強さがあることを明らかにしました。
 内容は以下の通りです。

   ひきこもり115万人の衝撃−迷惑をかけない思考決別を−
                                九州工業大学名誉教授 佐藤 直樹
    
 東京・練馬区で農水省の元事務次官が、長期間のひきこもりと家庭内暴力が絶えなかった息子を殺害するという、衝撃的な事件が6月におきた。その動機について元次官は、ひきこもりの男性が小学校の児童ら20人を殺傷し自殺した、5月の川崎市の通り魔事件のようになることを恐れ、「周囲に迷惑をかけたくないと思った」と供述したという。
内閣府の最新の調査によれば、ひきこもり当事者の推計数は、若年(15〜39歳)が54・1万人、中高年(40〜64歳)が61・3万人で、なんと115万人以上になるそうだ。この異常な数の多さと、「8050問題」に象徴されるひきこもりの長期化・深刻化は、日本に特有の「世間」の存在を考えないと説明がつかない、と私は思っている。
 確かに海外にもひきこもりは存在し、韓国が少し多いが、日本ほど大規模に起きている国はない。またHikikomoriは英訳できずに、そのまま英語になっている。言葉が存在しないということは、欧米では、それが特に注目されるような現象ではないからだ。
千年以上の歴史がある伝統的な「世間」は、「出る杭は打たれる」と言うように、異質なものを排除する傾向がつよく、海外では考えられない独特の同調圧力を生みだしている。これが、この国の驚異的な犯罪率の低さと、先進工業国中最悪の自殺率の高さをもたらしており、ひきこもりの大きな要因となっているのだ。
 不登校がひきこもりのきっかけともなる学校では、「ブラック校則」に代表されるように、「みんな同じ」という同調圧力がつよい。また、児童・生徒の間では、クラスのなかで「やさしい関係」を強いられ、お互い空気を読まなければならない。そして不登校は学校の問題ではなく、「発達障害」などと言われ、個人の病理の問題にされてきた。
 また職場においては、特にこの20年ぐらいの間に、「新自由主義」の台頭で成果主義が浸透し、お互い無理な競争を強いられ、うつ病や過労自殺を含む過労死が激増している。Karoshi もそのまま英語になっているが、これは欧米では、仕事は生きるためにするのであって、仕事が原因で亡くなる過労死など、およそ考えられないからである。
 学校や職場からはじかれ排除された場合、安心できる居場所となりうるのは家族しかない。ところが日本の家族は、伝統的に「世間」からつよい圧力を受け、つねに「世間体」を気にしているので、ひきこもりを「恥」と考えがちである。このため、問題を外部に相談することを躊躇する。それが、現在の長期化・深刻化をもたらしているのだ。
 私が練馬区の事件で驚いたのは、近所の住民たちの話として、「息子さんがいるなんて知らなかった」という報道があったことである。おそらく元次官は、ひきこもりの息子がいることを恥と感じ、世間体を考えて、周囲には隠しておいたのではないか。
 海外とは異なりこの国では、家族に不祥事があった場合に、「親も責任を取れ」と「世間」から非難される。そのため多くの日本人は、家庭で「人に迷惑をかけてはならない」と言われて育ってくるからである。息子殺害の動機となった、「周囲に迷惑をかけたくない」という言葉に示されているように、元次官も家庭できっとそう言われて育ち、また自分の息子にもそう言って教育してきたはずである。
 だが、私たちは大なり小なり「人に迷惑をかけて」生きている。障害者もそういう存在だし、誰だって高齢者になれば「人に迷惑をかける」存在となる。だからいま必要なのは、「人に迷惑をかけてはならない」という思考を、きっぱりと捨て去ることである。

 さとう・なおき 1951年宮城県生まれ。現代評論家。専門は世間学、現代評論、刑事法学。「日本世間学会」幹事。著書に「目くじら社会の人間関係」「犯罪の世間学」など多数。



 
posted by satonaoki at 12:16| NEWS

2019年10月23日

「デイリー新潮」(2019年10月23日)に、東須磨小「教員いじめ事件」ついてのコメントが掲載されました。

 2019年10月23日付けで「デイリー新潮」に、東須磨小学校「教員いじめ事件」について、私のコメントが掲載されました。いじめを主導した女性教員の「謝罪文」がまるで人ごとのようなのは、自分がやったことが遊びの延長ぐらいに考えていて、いまだにさっぱりリアリティがないからだとコメントしました。
 サイトは以下の通りです。
 https://www.dailyshincho.jp/article/2019/10230559/?all=1&page=2
 
 私の発言に関わる部分のみ、以下に引用しておきます。
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 この期に及んで“かわいがってきた”だなんて……。どういうつもりなのだろうか。
 「この加害女性教員の謝罪は、自分がやったことに対する実感がないのでしょう。ですから謝罪文にもリアリティがないのです」
 と分析するのは、九州工業大学名誉教授の佐藤直樹氏である。同氏は、著者に『なぜ日本人はとりあえず謝るのか――「ゆるし」と「はずし」の世間論』(PHP新書)などがあり、謝罪に関する専門家だ。
 「『かわいがってきた』という言葉からわかるように、自分が男性教員をいじめていたという認識がないんです。恐らく、男性教員と遊んでいたというくらいの感じなのでしょう。遊びといじめの間の境界がない。激辛カレーを無理やり食べさせている映像を見るとよくわかりますが、この女性教員は大笑いしています。その一方で、男性教員はピエロのように走り回っている。実際、何も事情を知らない人が映像を見たら、加害者も被害者も一緒に騒いで遊んでいるように思うかもしれません。裏を返せば、女教師はかなり性質が悪いとも言えます」
 佐藤教授に言わせれば、今回は子ども同士のいじめと全く同じだという。
「被害者はいじめられているのに、嫌な顔をせずに一緒になって騒いでように見える。学校での子どものいじめは多くがこのパターンです。いじめにあった子どもは、いじめる子どもに逆らえないので、嫌だと言えず笑って取り繕う。これだと先生が見てもいじめだと認識されないので発覚が遅れ、いじめがどんどんエスカレートしていくのです。今回の場合も同様です。被害にあった男性教師は、40代の女性教員や30代の男性教員に逆らえなかった。特に40代の女性教員は前校長とは昵懇の仲だったということですから、なおさら逆らえない。今の若い人は、“空気を読め”と言われ、それに従って生きている人が多いですからね。この被害教員も空気を読んで、先輩から理不尽なことをされても黙って従ってきた。そのため精神的にどんどん追いつめられて、心身に変調をきたしたと見ています」(同)
 加害者の4教員のうち3人は今年度、東須磨小のいじめ対策の担当者だという。よりによって、いじめを防ぐべき教員が、教員をいじめるとは……。
「加害者の3人の男性教員は、主犯格の女性教員に言いなりになっていたと思われます。この女性教員は猿山のボス的存在だったのでしょう。学校という閉鎖的な空間では、世間の常識が通じないところがあります。世間から見たら陰湿ないじめでも、学校ではからかって遊んだということになるわけです。教員は、夜遅くまで働いても残業手当が出ません。ブラック企業同然です。女性教員は自分でも知らず知らずのうちに、ストレス発散のため男性教員をいじめていたということでしょう。だから、自分は悪いことをやったとは微塵も思っていない。かわいがってやったと思い込んでいる。けれども、これだけいじめを繰り返したわけですから、明らかに犯罪行為だと思いますね。強要罪、暴行罪、器物破損罪が適用されてもおかしくありません」(同)
 結局、加害者の女性教員はどう“謝罪”すれば良かったのか。 
「“被害教員をいじめているとはまったく気づかず、本当に反省しています”と言ったくらいでは、世間は納得しないでしょう。これだけの酷いことをやったわけですから、公の場で“教員として失格です。教員を辞めます”くらいは言わないと駄目ですね。もっとも、本人は教員を辞める気はさらさらないでしょうが……」(同)

posted by satonaoki at 19:38| NEWS

2019年09月04日

「朝日新聞」(2019年9月4日)に「世間に縛られる息苦しさ」が掲載されました。

 2019年9月4日「朝日新聞」の「耕論 ひきこもり その背景」というコーナーに、「世間に縛られる息苦しさ」との表題でインタビュー記事が掲載されました。聞き手は中村靖三郎記者。3時間ほどの取材内容を手際よくまとめています。他には、「ひきこもり名人」の勝山実さん、「当事者通信ぼそっとプロジェクト主宰」のぼそっと池井多さんが登場しています。
 内容は以下の通りです。

 九州工業大学名誉教授・現代評論家 佐藤直樹さん「世間に縛られる息苦しさ」

 日本特有の概念である「世間」を研究してきた立場から、ひきこもりの原因は世間にあると思っています。
 世間には、先輩・後輩、格上・格下などの身分を常に意識したり、「出る杭は打たれる」と言われるように異質なものを排除したりといったルールがあり、我々はがんじがらめに縛られています。そこから抑圧感や同調圧力が生まれ、ひきこもりの大きな要因になっていると言えます。古くは万葉集でも、山上憶良が「世間(よのなか)を憂しとやさしと思へども」と歌っています。
 歴史的にみると、西欧では都市化とキリスト教によって「個人」という概念が生まれ、個人が集まり「社会」ができました。日本には、明治時代に翻訳されて言葉としては入ってきましたが、本来の意味では定着せず、世間が土台に残り続けました。今でも日本に個人や社会はない、と思っています。
 他国と比べて圧倒的に犯罪が少ないのも、みんながきちょうめんに世間のルールを守るからです。一方で、自殺率が先進国の中で最悪レベルなのも、世間が生み出す同調圧力が異様に強いからです。
 さらに、ひきこもりを深刻化させているのは、世間からどう見られるかという「世間体」を家族が意識していることです。子がひきこもることを恥と考え、外に相談せず、徹底的に隠そうとする。結果としてその状況がいつまでも続く原因になっています。
 子どもの頃から「他人と違う個性的な人になりなさい」と育てられる海外とは逆に、日本では「他人に迷惑をかけない人間になりなさい」と育てられます。罪を犯すと、「親も責任を取れ」と非難され、世間にひたすら謝らないといけません。子が大人になった後もです。「ケガレの意識」から、家族ごと地域から追い出されて住めなくなる。個人がないため、親子は一体と見られ、世間と家族の境界もあいまいです。その結果、世間が家族の中にどんどん侵入してくる。
 しかも、この20年ほどで、世間の息苦しさはどんどん強まっていると感じます。元々個人なんてないのに、成果主義が広がり「競争に耐えられる強い個人になりなさい」と言われる。無理難題で、ものすごいストレスです。インターネットやスマートフォンなどの影響もあります。小学生のときからSNSなどで24時間つながることを強いられ、ネット上の匿名の関係にまで世間が肥大化しています。
 ひきこもりの苦しみから逃れるにはどうしたらいいのか。それには家族関係を見直し、親子間でも互いを個人として捉え直し、人格があると認め合うことが必要です。
 ただ、世間は千年も前から連綿と続いており、変えるのは容易ではありません。まずは自己責任論や自分が悪いと考えることを捨て、「悪いのは世間だ」と開き直ることです。そのためにも、私たちが世間に縛られているということを、認識する必要があります。(聞き手・中村靖三郎)
 1951年生まれ。専門は世間学、刑事法学。日本世間学会幹事。著書「目くじら社会の人間関係」など。
posted by satonaoki at 12:50| NEWS