2021年05月10日

「ダイヤモンドオンライン」(2021年5月10日公開)「国際的『男尊女卑国』日本、世界とズレる大きな理由」が掲載されました。

 「ダイヤモンドライン」(2021年5月10日公開)に「国際的『男尊女卑国』日本、世界とズレる大きな理由」が掲載されました。
 「世間」論から、156カ国中120位という日本のジェンダーギャップ指数の低さの理由を考えてみたものです。
 https://diamond.jp/articles/-/270380
 
 内容は以下の通りです。

 国際的「男尊女卑国」日本、世界とズレる大きな理由

 評論家・九州工業大名誉教授 佐藤直樹

 ●男女平等ランキング、日本は120位 ●経済分野117位、政治分野147位

3月に発表された世界経済フォーラムの「男女格差報告書(ジェンダー・ギャップ指数 ) 2021」で、日本はなんと156 カ国中 120位(65・6%)だった。
教育へのアクセスや政治家や閣僚の数、賃金など男女差を比べ、「100%」を「完全な男女平等」として達成度を指数化したものだが、これまでで二番目に悪い数字で、主要7カ国(G7)では最下位、全体でもはっきりいって下から数えたほうが早い。
 対象となった経済・教育・医療・政治の 4分野のうち、教育・医療分野はそうでもないのだが、目立って低いのは、経済分野の 117位と政治分野の 147位だ。とりわけ経済分野では、「労働力の男女比」は他国と比べて遜色ないのに、「管理的職業従事者の男女比」が139 位「専門・技術職の男女比」が 105位と、かなり低い。私も大学で働いていたが、職場で女性の管理職がきわめて少ないのは実感としてよく分かる。

●かなりの「女性差別の国」●実感している人男性は少ない

 というわけで、 2月に森喜朗オリンピック組織委員会元会長が辞任に追い込まれた、「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」「組織委にも女性はいるが、わきまえている」との女性蔑視発言をもちだすまでもなく、じつは国際的には、日本はれっきとした「男尊女卑の国」なのだ。
これはきわめて深刻に受け取るべき厳然たる事実なのだが、日本がかなりひどい女性差別の国だと自覚できる人は多くない。おそらく、とくに男性にはこのことをリアルに感じている人は、少ないのではないか。
日本が国際感覚とはとんでもないズレがあるのは、いったいなぜなのか?

●欧米にはない「世間」に●埋め込まれた「身分制のルール」

 答えは簡単で、それは海外にはない日本特有の人間関係である「世間」に、日本人ががんじがらめに縛られていることにある。
「世間」があるために差別が構造化されており、女性差別が隠蔽され、きわめて見えにくい構造になっているからだ。
 女性差別が見えにくい理由の一つは、「世間」に「身分制」があるためだ。日本は先進国のなかでは、きわめて伝統的なものを多く残している唯一の国だ。その代表が「世間」という人間関係だ。
「世間」は『万葉集』以来1000年以上の歴史があり、日本人は伝統的な「世間のルール」を律儀に守ってきた。なぜなら、「世間を離れては生きてゆけない」と信じており、ルールを守らないと「世間」から排除されると考えるからだ。
 そのルールのなかに「身分制のルール」がある。年上・年下、目上・目下、先輩・後輩、格上・格下、男性・女性などの上下の序列である。日本人はこの「身分制」にしばられており、そこに上下の序列があるために、これが差別の温床となっている。
 現在の欧米社会には、日本のような「世間」はない。この違いは言葉の問題を考えると分かりやすい。
英語では一人称の「I 」と二人称の「YOU 」は一種類しかない。つまり対話の相手が友だちだろうが大統領だろうが、タメ口でよい。ところが日本語では「I」 も「YOU 」も、「オレ、私、僕、あなた、お前、君・・・」など山のようにある。
日本語でこれほど一人称・二人称の使い分けが必要なのは、あらゆる場面でその都度、対話の相手との上下関係、つまり「身分」を考えて、言葉を選ばなければならないからだ。 英語圏には「世間」はないため、日本のような「身分制」が存在せず、人間関係は基本的に「法の下の平等」のもとにあるから、相手が誰であろうがタメ口でよい。
 「身分制のルール」は合理的な理由がない、いわば「謎ルール」なのだが、「世間」には後輩の先輩への絶対的服従など、この種の「謎ルール」がてんこ盛りにある。女性差別もその一つで、「世間」の「身分制のルール」のなかに構造的に埋め込まれている。
じつは森元組織員会会長の「わきまえている」発言が意味しているのは、まさに「女性は身分をわきまえろ」という「身分制のルール」のことに他ならない。
 ただしこの発言だって、「たかがあの程度のことで、なぜ辞める必要があったのか?」と思った人は、とくに男性に多いのではないか。
女性差別だという実感がまるでないのは、そもそも「世間」自体が「身分制」という差別構造をもち、女性差別がそのなかに見事に埋め込まれ隠蔽されるために、きわめて見えにくくなっているからだ。

●夫との間で「母子関係」まで●背負うことを求められる妻

 日本の「世間」で、女性差別が見えにくい理由がもう一つある。
たとえば、歌手で俳優でもある武田鉄矢さんは、3 月に「ワイドナショー」に出演したさいに、西洋に比べて日本が「男性優位社会って言われていますけど、そんな風に感じたことありません」と断定。夫婦関係を念頭に、「やっぱり日本で一番強いのは奥さんたちだと思いますよ」と発言している。
 どうだろうか。これを聞いて共感する男性は少なくないのではないか。
やっかいなのは、夫婦関係において「日本で一番強いのは奥さん」と思い込んでいる人間に、社会関係におけるジェンダーギャップを指摘しても、まるで実感をもてないのではないかということだ。
つまりここには、夫婦関係と社会関係において一種の「ねじれ」があり、夫婦関係においては、男性より女性のほうが一見「強い」ようにみえる。しかし、この「ねじれ」は表面的なものにすぎない。
たとえば昨年 6月、お笑い芸人の渡部建さんの不倫問題がおきたときに、妻で女優の佐々木希さんがインスタグラムで、「この度は、主人の無自覚な行動により多くの方々を不快な気持ちにさせてしまい、大変申し訳ございません」と、「世間」に謝罪したことは記憶に新しい。
 じつは、夫の不祥事を妻が「世間」に謝罪しなければならないのは日本特有の現象なのだが、「世間」が謝罪を要求するのは、夫にたいして妻は母親としての「監督責任」があると考えるからだ。
つまりここにある夫婦関係は、相互に独立した個人としての男女関係ではなく、非対称の依存関係としての「母子関係」である。
 この点で最近、心理学者の信田さよ子さんが、日本のDV加害者の男性の特徴について、面白いことを指摘している。
すなわち、北米の男性の場合、妻への嫉妬がDVの引き金になっている例が多いのに対して、日本では妻が他の男性に惹かれることなど考えもしない例が多いという。ようするに、「日本の男性は妻を女性としてではなく、『自分を分かってくれる存在=母』としてとらえている」ことがDVの根底にあるのではないか、というのだ。
 もちろん「母子関係」がすべて悪いわけではない。しかし夫婦の関係で「自分を分かってくれる存在」といった「母子関係」を要求される女性にとってみれば、それは強制であり抑圧でしかない。
夫婦関係において女性は男性より「強い」ように表面上みえるが、ここにあるのは、一方的に「母親の役割」を強制されるいびつな女性差別の構造なのだ。とくに男性にとって、この差別的構造はきわめて自覚しにくい。

●女性役員比率と業績に相関関係●見方や考え方の多様化で活性化

では、たとえば企業での男女差別や格差をなくしていくにはどうすればよいのか。
職場も一つの「世間」である以上、そこでも女性差別が構造化されている。この状況を変えるには、日本では差別が見えにくい構造があることをよく自覚し、すみやかにジェンダーギャップを埋める具体的な方策を講じる以外にない。
BCG(ボストン・コンサルティング・グループ)の報告書(2017年)によれば、日本企業における女性役員の割合は、ノルウェー36%、フランス30%、イギリス23%、アメリカ・ドイツ・オーストラリア19%などと比較して、わずか3 %と著しく低い。
興味深いことにこの報告では、東証一部上場 904社を調査し、「日本企業の女性役員比率と企業業績には相関関係が見られる」と結論づける。つまり女性役員を増やすことで企業業績が上がる。それは、「ものの見方や考え方が多様化することで、企業が活性化し、イノベーションが加速する」からだという。当然といえば当然の話だ。
 これは一つの例だが、政治のかかげる「女性活躍推進」がレッテル詐欺にならないためにも、女性の管理職を増やすなどの実効的な手立てを、躊躇することなく実施することが必要だ。



posted by satonaoki at 14:40| NEWS

2021年04月01日

「東京新聞」(2021年3月27日)に小林哲夫『平成・令和 学生たちの社会運動』の書評を書きました。

 「東京新聞」(2021年3月27日)の「読む人」のコーナーに、小林哲夫さんの『平成・令和 学生たちの社会運動』(光文社新書)の書評を書きました。
 
 期間限定で、以下でご覧になれます。
 https://www.tokyo-np.co.jp/article/94114
 
 内容は以下の通りです。

 数年前にある大学教員は、「大通りをデモしたりするのは犯罪じゃないんですか」と学生にいわれて驚いたそうだ。私の経験でも、教室でデモは市民の権利ですと正しく指摘しても、学生諸君はキョトンとしている。だが著者は、どんな時代であっても社会と向き合っている学生はいる、その記録を残したいとの強い思いから本書を書いたという。
 記録の中心は、国会前占拠にいたる15年安保前後。ここ10年ほどの学生たちの社会運動だ。最も目立ったSEALDs以外にも、民青、直接行動、未来のための公共、エキタス、カウンター、9条の会、中核派・全学連、性暴力・性差別反対、環境問題、自由と生存など多彩な運動に関わった学生たちのほとんどが、大学名と共に実名で登場する。
 とりわけ、「孤独に思考し判断しよう」との斬新なメッセージを掲げたSEALDsの運動が残したものは、デモ参加のハードルを下げ、政権交代の野党共闘を構築し、「あなたはどうするんですか」という鋭い問いを突きつけたことであるという。
 ただし、その活動の中心はSNSの空間である。国際基督教大学がSEALDsの活動を担った学生を表彰したような例外はあるが、いまや多くの大学キャンパスでは、ビラ撒きも座り込みも集会もデモも、職員がすっ飛んできて妨害される。情けないことに大学は、憲法上の権利である「表現の自由」の圏外の空間になってしまったのだ。
 それに加えて深刻なのは、「国の政策に反対することが『空気を読まない』と見なされてしまう『空気』が蔓延していること」だ。私見では、この国の若者のあらゆる反抗や反乱は、「空気読めよ」という日本特有の「世間」の同調圧力によって無力化される。「世間」は変わらないと信じられているので、社会運動がなかなか育たない。
 この意味で本書はたんなる記録ではない。私たちは「あなたはどうするんですか」という問いを突きつけられているのだ。



posted by satonaoki at 20:56| NEWS

「政経電論」(2021年3月10日公開)に「日本人が大事にする『世間』の正体-コロナ禍と日本人論」が掲載されました。

 「政経電論」(2021年3月10日公開)に「日本人が大事にする「世間」の正体〜コロナ禍と日本人論」というインタビュー記事が掲載されました。聞き手は香港在住のジャーナリストの武田信晃さん。
  以下でご覧になれます。
https://seikeidenron.jp/articles/18300

内容は以下の通りです。

●世間」と一体化しようとする日本人

新型コロナウイルスに感染し自宅療養をしていた東京都内の30代女性が1月下旬に自殺した事件があった。遺書には「自分のせいで周りに迷惑をかけてしまい申し訳ない」と書かれていたという。

筆者はカナダと香港に住んだ経験があるが、海外では感染した人を「大変だね、不運だったね」と元気づけ、本人もそのようとらえる。それだけに、自殺するほど精神的な負担を強いられる日本の状況に首をかしげたくなった。

「海外では人種差別はあっても病気に罹った人を差別することはありません。コロナ禍当初、東洋人がコロナにかかると差別されましたが、あくまで人種差別でした。

しかし、日本人の彼女はコロナに罹ったことで他人に迷惑をかけたと大きな精神的負担を感じてしまった。それはなぜか? 日本の場合は世界中にどこにもない『世間』というものが根底にあるからです。同調圧力が強いことも関係しています。

よく有名人が『世間をお騒がせしました』と謝罪しますが、日本人は当事者でもないのに『迷惑をかけられた』と『世間』と一体感を感じ、共同体の秩序を乱したことに対する謝罪を求めるのです」(佐藤直樹さん、以下同)

日本人は小さいころから「他人に迷惑をかけるな」と教育される。親から、他人に迷惑をかけることが世の中で一番悪いこと、というのが刷り込まれる。日本人が最初に「世間」を知る瞬間だ。

「『世間』は英語にも訳せない言葉で、コミュニティでもソサイエティでもワールドでもありません。『世間』という言葉自体は『万葉集』の山上憶良の歌に出てきますが、日本人が集団になったときに出る力学的なものと定義しています。スマホなどの電子的なコミュニケーションがこれだけ発達した今でも、おそらく日本人は1000年前と同じ人間関係の作り方をしてきています」

例えば、結婚式は大安に集中する。お中元はもらったら送り返す。そうしなさいとは法律に書かれていないが、人間関係をスムーズにするために皆そうする。「そのためにみんなが守っているルールは山のようにあり、特にもらったらお返しするという“お返しルール”が『世間』においては重要」だという。

●近代化の過程で「社会」を作れなかった

これらのルールは海外では通用しないが、実は11世紀、12世紀ぐらいまではヨーロッパでも「世間」があったという。それを宗教、つまりキリスト教が他宗教を排斥する過程の中で「社会」に変えていった。

同様に日本でも近代化によって「世間」は少しずつ崩れ「社会」に変わっていくと思われたが、グローバル化によって復活し逆に強固になるという現象、バックラッシュが起きる。

「1998年以降、日本では自殺者が2万人台から3万人台に増加し、うつ病も増えていきます。戦後のグローバル化によって競争が激化し、その後入ってきた新自由主義によって強い個人たれと言われ、それまでとのギャップからストレスがたまって息苦しさを感じるようになっていった結果です。徐々に同調圧力が強まっていって、この一年で一気に爆発したというのがコロナ禍に表れていると思います」

このころから叫ばれるようになった「自己責任論」は、もともとは金融用語で、自分で出した損失は自分で責任を持てという意味だった。いま一般的に使われている「自己責任論」は、それを自業自得的なニュアンスに置き換えられたものだ。

これらの背景には、「社会」の概念をインストールできなかった近代化の歴史が影響していると佐藤さんは言う。

「日本は明治に入り近代化を進めました。欧米から『ソサイエティ』という言葉が入り、『社会』という言葉を造語します。しかしその当時、日本に『社会』はありませんでした。では、150年たった今、日本に『社会』はあるかといわれると、無いのです。

社会は『インディビジュアル=個人』が集まってできますが、当時の日本には『個人』の言葉はあっても実態がありません。その代わりにいるのが“個人ではなない人”です。それはまさに現代のような“悪目立ちしない”在り方です」

明治以降、日本は海外からの法制度や政治制度の輸入には成功したが、その根底にある社会、人間関係の作り方の輸入はうまくいかず、それまでに存在していた集団、つまり『世間』が残ることになる。その大きな要因は、「社会」を醸成するキリスト教が日本においては大きな広がりを見せなかったことだという。

宗教というのは人間の価値観の軸となるものの一つだ。日本人は無宗教に近いと思っていたが、佐藤さんは「日本人は信心深い」と言う。

「日本人はクリスマスを祝った後に神社でお参りするなど、常に何かを信じている多神教ですね。アミニズム(生物・無生物問わず魂が宿ると考える)に近いと思います。一方、世界標準のキリスト教やイスラム教、本をただせば仏教は一神教です。この一神教が『社会』を作るのです。つまり、キリスト教において神に告解(懺悔)することで個人が形成され、そこから社会が生まれました」

日本人が多神教だったとは驚きだが、そういう意味では、日本はそもそも「社会」をインストールできない文化背景だったといえるかもしれない。

●コロナ禍に見る「世間」的な出来事

一時期、コロナ禍を最前線で働く医療従事者に拍手を送るというのがあったが、海外に比べて日本ではどこか義務的だったり、広がりがなかったりした。佐藤さんは「それは拍手がパブリックな行為だから」と指摘する。なお、英語でいう『Public』は日本語でいう“公共”と“市民の総意”という意味を内包するが、日本語でいう“公共”は“市民の総意”を内包しない。

「日本人は皆どこかの『世間』に属していて、自分の『世間』の状態をとても気にします。『世間』はウチとソトが隔てられた“閉じた”もので、パブリックが存在しません。日本人は『世間』のウチでのことは積極的にやりますが、ソトのことはどうでもいいと思う。一方、『社会』は原理的に閉じておらず、そこにはパブリックという概念が存在します。『世間』は『社会』より狭い。そのため医療従事者への拍手も一部にとどまったのです」

では、「自粛警察」はどうだろうか。

「彼らは自分たちを『世間』の代表だと思っています。自分たちを正当化できるのは、自分たちは他人に迷惑をかけていないから。つまり正義感です。自粛警察は同調圧力の典型。同調圧力は世界中に大なり小なりありますが、日本はコロナではっきりと出てきました」

「世間」の強力なルールである「他人に迷惑をかけないこと」はこういった局面に強く表れるようだ。どういった条件なら同調圧力が強まるのだろうか?

「正直、わからないところはあります。ネットの場合、下手をすれば何でもたたかれる可能性がありますし、ときには寄付ですら売名行為とたたかれます。出る杭は打たれる……の典型ですが、人間平等主義といって彼らにとって人間は均質でなければならないのです。

その一方で日本的な身分にも束縛されます。年上年下、名刺による肩書、昔なら士農工商です。そういった身分差と均質でなければならないというねじれが、妬み、ひがみを生み、たたかれることにつながっているのだと思います」

●「世間」の効能

一方、『世間』がもつ抑止力がポジティブに表れたのは東日本大震災のときだという。

「非常時には法律が崩壊するので海外では略奪が起こります。しかし、日本では避難所でも“あなたは〇〇担当”というように、避難所がうまく回るように『世間』を作った結果、冷静に行動でき、略奪は起こらず、海外からも賞賛されました。

『世間』のルールは法律よりも強く、日本人はそれを律儀に守ってきたのです。日本は安全で、他国より殺人率が低いというのは、『世間』の圧力の強さによって犯罪にまで至らない、ということが言えます。

コロナ対策についても、海外では社会のルールは法のルールと同義なので感染症対策はマスク着用義務など罰則をつけてやります。それでも守れない人がたくさんいます。日本は1回目の緊急事態のとき、自粛は要請のみで罰則はありませんでした。それでも皆行動に移し、感染を抑えたことはすごいことです」

ある種の危機においては、「世間」の同調圧力は治安維持に貢献するようだ。ところで2月の改正特別措置法で、ついに日本でも命令に従わない場合、過料などの行政罰としての罰則が設けられたが、日本人自らが私権を制限する罰則規定を設けることを望んだのには違和感を覚えた。

毎日新聞の2021年1月16日に行った世論調査では、特措法や感染症における罰則強化が「必要だ」との回答した人は51%で、「必要ない」の34%を上回っている。

佐藤さんはこの結果について、「世界の感染状況から不安になり、日本人の間に、罰則を設けてでも感染を抑えたほうがいいという空気が広がりました。今回の法改正はそれを政治が読んだためでしょう」と話す。

また、罰則の効果については、「過剰にルールを守ると思います。懸念するのは、過料だろうが何だろうが法律を守らない人=犯罪者と思いがちなので、感染者差別が地下に潜る可能性もあります」と分析。

そう語る佐藤さんから見た日本人に適切なコロナ対策とはどんなものだろうか。

「大勢の人が、罰則が法制化される前から外出を控えていたのは事実です。日本人は真面目なのですから、このままでいいと思うのです。この事象は世界的にもすごいことなのですから」

●東京五輪は、開催されたら楽しむ空気に変わる

コロナ禍での東京オリンピック・パラリンピックの開催について、1年延期した2021年になっても、開催中止や延期を主張する人は多い。佐藤さんはこれを「日本は呪術的でもあるので『こんな時期に……』と言う空気が形成され、これには逆らえないから」と話す。もし強行した場合どうなるだろうか。

「開催されたらされたで楽しみますよ。そういう空気になるからです。空気というのは非合理的で、持続せず、変わるものです。日本人は思想や信条があまりないので、空気が変われば自分も変わってもいい、と思うのです」

海外と比較すると日本人は合理性に欠けるように思えてしまうが、アフターコロナに向けては前向きな空気が欲しい。息苦しい日本の状況が変わっていくにはどうしたらいいのだろうか?

「おかしいと思ったことは、空気を読まずに抗うことかもしれません。ちょっとした勇気が必要ですが。そうすれば、風通しがよくなって生きやすくなると思います。

SNSの在り方も考えたほうがいいでしょう。発信する前にもし実名アカウントなら投稿をしてもいいのかと一旦立ち止まって考えてみてください」

少し前だが、検察庁法改正案についてネットで大きな反発があり、同国会での成立を見送り廃案になったことがあった。佐藤さん曰く、「極めて例外的ですが、ネットが『社会』として機能した例です。日本に全く『社会』がないわけではないということですね」と。ネット社会の世の中だが、正しく使えば今後の希望の光にもなり得るように感じた。


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posted by satonaoki at 20:43| NEWS