2020年05月26日

「読売新聞」(2020年5月21日)に「同調圧力 過剰な非難」が掲載されました。

 2020年5月21日「読売新聞」の「コロナに思う」のコーナーに、「同調圧力 過剰な非難」が掲載されました。
 内容は以下の通りです。

 感染拡大を受け、国内では多くの人が、不要不急の外出自粛や休業要請に応じてきました。罰則はないのに、なぜ従うのか? 私の答えは簡単です。日本には、欧米にない「世間」があるからです。
 私は、「世間=日本人が集団になった時に発生する力学」と定義しています。そこでは、みんな同じでないといけないという「同調圧力」がかかり、人々は行動を自主的に規制します。日本には、法律とは別の「世間のルール」があるため、罰則のない「要請」で必要十分なのです。
 ただ、こうした「世間」には、負の側面もあります。
 感染者や医療従事者、その家族を差別し、世間から排除しようとする動きが目立っています。これは、同調圧力の強さゆえでしょう。厄介なのは、新型コロナウイルスが、感染しても症状の出ない場合があることです。つまり、誰が感染しているかわからない。その不安や恐怖が、差別やバッシングを肥大化させているように思います。
 最近では、外出者や休業しないお店をSNSなどで名指しで批判する「自粛警察」と呼ばれる現象も現れました。直接、自分が迷惑を被ったわけでもないのに、世間がそれを許さないと思い込んで過剰に非難しています。この背景にも、「空気を読め」という同調圧力があるのでしょう。
 実際に非難されてみないと、世間の怖さを意識することはありません。私たちは、世間に生きていることを自覚し、そのあり方を考えてみるべきです。そうすることで、もう少し風通しのよい世界に変わっていくはずです。

posted by satonaoki at 09:38| NEWS

「北海道新聞」(2020年5月14日)に「日本の死刑制度 内向きの「当たり前」見直せ」が掲載されました。

 2020年5月14日「北海道新聞」の「各自核論」のコーナーに「日本の死刑制度 内向きの「当たり前」見直せ」が掲載されました。
 内容は以下の通りです。
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 19名もの施設利用者の命が奪われ、戦後最悪の大量殺人事件となった「津久井やまゆり園」事件。3月30日に被告は弁護人の控訴を取り下げ、死刑判決が確定したが、驚くのは、判決をめぐって死刑制度の是非についての議論がほとんどなかったことだ。
 このような凶悪事件への死刑適用は当然だと考える人が多いかもしれない。だが、なぜ議論が起きないのか、私は大きな違和感をもつ。死刑事件は必ず裁判員裁判となるのだから、けっして私たちに無縁ではない。いまこそ徹底した議論が必要なのではないか。
 海外に目を転じれば、いまや死刑廃止・停止国が圧倒的多数である。EU(欧州連合)は死刑制度を廃止しないと加盟できない。OECD(経済協力開発機構)の加盟国のうち死刑制度を存置しているのは、韓国、米国、日本だけである。しかもその中で韓国は、1997年以降執行をせず停止国とみなされている。米国は約半分の州が廃止・停止している。国連等の国際機関による日本政府への廃止・停止の勧告も少なくない。
 にもかかわらず先進国の中では、この国だけが廃止・停止の気配がまるでない。2014年の内閣府の世論調査によれば、「死刑もやむをえない」が80・3%。「死刑は廃止すべきである」が9・7%である。ただしこの調査にはかなり問題があって、死刑が「やむをえない」と質問するのなら、死刑は「廃止すべき」ではなく「廃止もやむをえない」と聞くべきだ。質問自体が、死刑存置論に有利なように誘導的な内容になっているのだ。
 とはいえこの国では、他の先進国とは異なり、死刑が人々から圧倒的に支持されていることはたしかである。この圧倒的な支持の理由はいったい何なのか?
 この点できわめて興味深いのは、作家の辺見庸さんの議論である。彼はその死刑廃止論の中で、東京拘置所において、刑場の位置および死刑囚が立たされる場所が、丑寅(北東)つまり鬼門の位置にあり、それは「穢(けが)れが立つ場所」であって、これが「他の死刑存置国とはあきらかに異なるところ」だと指摘している。
 思うにこの国は、先進国の中では異様に古い文物を残している唯一の国である。葬式のさいに「清めの塩」を渡され、それを家の玄関に入る前に身体にふりかけるのは、死がケガレとみなされ、塩がそれを祓うと信じられているからだ。こうした呪術的とでもいうべき古い習慣が牢固として残っており、ふだんは意識されないが、枚挙にいとまがない。
 これと関連して私があ然としたのは、海外からの日本政府への批判に対して、2002年に森山眞弓法務大臣(当時)が、「欧州評議会オブザーバー国における司法と人権」という国際会合のなかで、死刑は日本の文化であり、「死んでお詫びをする」という慣用句にはわが国独特の、罪悪に対する感覚があるとスピーチしたことである。
 たしかにこの国で死刑制度が圧倒的に支持される背景には、こうした日本社会に固有の伝統的な考え方がある。だがはたして国際的に、「死んでお詫びをする」ことが「日本の文化」だからとして、死刑を正当化できるのか。私が危惧するのは、それは一種の「文化相対主義」を利用したものであって、あくまでも内輪向けの議論にすぎず、海外に対してはまるで説得力をもたないことだ。
 EUは死刑廃止の理由を、すべての人間には「生来尊厳が備わっており、その人格は不可侵」だからだという。これは一種の普遍主義といえる。いま、独善的な文化相対主義を捨て、死をケガレとみなすこの国の「当たり前」を再考する必要がある。

(著者紹介)さとうなおき 51年宮城県生まれ。評論家。専門は世間学、現代評論、刑事法学。「日本世間学会」幹事。近刊に「加害者家族バッシング−世間学から考える−」

posted by satonaoki at 09:32| NEWS

「朝日新聞」(2020年5月14日)にコメントが掲載されました。

2020年5月14日「朝日新聞」に、和歌山県の「県内在住確認書」をめぐってコメントが掲載されました。
https://digital.asahi.com/articles/ASN5F6S7RN58PXLB00B.html?_requesturl=articles%2FASN5F6S7RN58PXLB00B.html&pn=7
内容は以下の通りです。
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新型コロナウイルス感染拡大防止のため不要不急の外出自粛が求められる中、県外在住者という誤解をされかねず不安という県民の声を受け、和歌山県は県外ナンバー車を利用している県民向けに、県内在住確認書の交付を始めた。

 県では7日から、県内在住だがやむを得ず県外ナンバー車を使用している県民に対し、県内在住確認書を交付。「和歌山県内在住者です」と書かれ、車のダッシュボードなどに置くことを想定する。

 道路運送車両法では、住所に変更があった場合は変更登録をする必要があると定められている。だが、新型コロナへの感染を避けるため外出回数の減少を求められているため、県では、申請者に登録変更をするよう伝えた上で「緊急避難的な対応」として今回の取り組みを実施している。申し込みは、各振興局で、郵送やメールなどでも申請できる。11日までに1414件交付したという。

 串本町でも、町のご当地キャラクター「まぐトル」が「わたしは 串本町に 住んでいます」と吹き出しで話す姿を印刷した車用のマグネットシートを配布している。町によると、町内で嫌がらせを受けたとの訴えはないが、「県外ナンバーが走っている」との指摘はあったという。担当者は「町民の不安解消と滞在者への配慮を考えた」と話す。500枚作り、希望者に無料で配っている。
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 地域外ナンバーの車への嫌がらせは、他県でも問題になっている。徳島県内では4月下旬、県外ナンバー車のドライバーへの暴言やあおり運転があったとして、知事が嫌がらせをやめるよう呼びかけている。

 地域外ナンバー車を巡る厳しいまなざしについて、「世間」を研究する九州工業大の佐藤直樹名誉教授は、新型コロナへの不安から「内と外をはっきりと分け、内の中は互いに助け合うが、外に対しては厳しく接し、排除する」という世間の意識が強くなっていると分析する。また、ハンセン病元患者や家族に対して差別があったように、世間では病気を「ケガレ」と捉えて忌避する。新型コロナについても、同様の意識が働いているという。

 佐藤名誉教授は「県内在住」と示す行政の取り組みについて、県民の不安を取り除くという理由は理解できるとしつつも、「対立や分断をあおることになりかねない。行政が取り組むことなのか」と疑問を呈した。(藤野隆晃、直井政夫)
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posted by satonaoki at 09:19| NEWS