2018年01月19日

「AERA」(2018年1月22日号)の「一生消えぬ『殺人者の家』」という記事で、コメントが載りました。

 「AERA」(2018年1月22日号)の「一生消えぬ『殺人者の家』」という記事に、私のコメントが載りました。
 記事では、日本で犯罪加害者家族は、たとえそれが成人の犯罪であっても責任を追求され、「世間」から徹底して排除されることを指摘しています。

 内容は、以下でご覧になれます。
 https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180116-00000082-sasahi-soci

 私のコメント部分は、つぎの通りです。

 ただ、加害者家族への支援は異論もあるのも確かだ。家族を奪われ、あるいは傷つけられた被害者家族の苦しみを思えば、加害者家族の支援に否定的な意見も少なくない。この点について、刑法学者で九州工業大学の佐藤直樹名誉教授は(1)再犯防止、(2)自殺・心中の予防、(3)人権の確立。この3点から、犯罪加害者の支援は必要と説く。
「日本の社会には罪を償った加害者を受け入れる余裕がなく、社会的排除は加害者の再犯の可能性を高くし、さらに加害者家族を苦しめます。また、加害者家族は自責の念から自殺を考え、心中に追い込まれることもある。罪を犯していない家族に制裁を加える社会は、人権が確立されていない社会といえます」


posted by satonaoki at 13:07| NEWS

2018年01月07日

「出版ニュース」(2018年1月上・中旬号)に「今年の執筆予定」が掲載されました。

 「出版ニュース」(2018年1月上・中旬号)に、「アンケートによる 今年の執筆予定」が掲載されました。
 内容は以下の通りです。

● 二〇一七年は、『目くじら社会の人間関係』(講談社+α新書)を上梓した。近年の「ネット世間」の成立によって、「世間」の同調圧力がますます強まり、ちょっとしたことに目くじらを立てる「一億総目くじら社会」になっていることを、ブログの炎上や謝罪の強要など具体的なケースを取り上げて論じたものだ。
 ● 二〇一八年は、『加害者家族と「世間」』(出版社未定)の執筆を予定している。昨今の犯罪の加害者家族にたいするバッシングのひどさは、日本には海外にはない「世間」が存在するためである。このことの意味を考えてみたい。
 なお一七年に引き続き、「北海道新聞」の「各自核論」のコーナーに評論を不定期連載中である。(詳しくは http://www.satonaoki.comを参照されたい)。

 
posted by satonaoki at 12:04| NEWS

2017年12月23日

「西日本新聞」(2017年12月22日)に「『世間』の暴走感じる流行語」が掲載されました。

2017年12月22日の「西日本新聞」に「『世間』の暴走感じる流行語」が掲載されました。
今年の新語・流行語年間大賞「インスタ映え」と「忖度」について、世間論の観点から考えてみたものです。
以下の「西日本新聞」のサイトでご覧になれます。
 http://www.nishinippon.co.jp/sp/nnp/opinion_view/article/382058 
 
 なお、内容は以下の通りです。

 日本人は、昔も今も「世間」にがんじがらめに縛られている。ますますその思いを強くしたのが、今年の新語・流行語年間大賞であった。
 まず「インスタ映え」。若者の間では、1人なのにデートを装って飲み物を2人分注文して写真を撮るなど、「盛る」ことも当たり前らしい。その根底にあるのは、自分の仲間内での承認欲求の強さである。なぜか? 自分の価値評価が、自分の内側から生じるのではなく、「いいね」の数といったような、仲間からの承認の多さで決まるからだ。
 若者に限らず、もともと日本人は「世間を離れては生きてゆけない」と信じているので、それからつまはじきされることを最も恐れている。その結果、つねに「世間」から承認され、評価されていないと不安になる。見栄えの良いように「盛る」のは、他人からどう思われているかという、まさに「世間体」を考えてのことであろう。私が気になるのは、こうした承認欲求が、とくに若者の間で、いまや強迫的なまでに広がっていることだ。
 つぎに「忖度」。じつはこの言葉、たんに「他人の気持ちを推察する」といった意味ではない。正確に言えば、「空気を読み、あらかじめ上の意向を察して、行動を決定する」ことであって、日本人なら誰でもピンとくるはずだ。そして面白いことに、忖度は英語に翻訳できない。訳せないのは、海外とくに西欧ではまずありえないからである。
 なぜなら、日本の会社や役所などの組織では、その実体が「世間」であるために、指示・命令のような「法のルール」は滅多なことでは発動されず、日常的には忖度のような暗黙の「世間のルール」が優先されるからである。これに対して西欧の組織を動かす原理は、「法のルール」以外にない。「世間」が存在しないから、忖度もありえないのだ。
 そのため日本では、かりに組織内でコンプライアンス違反を指摘しようとしても、「法令順守もいいが、もっと空気読めよ」などと言われ、暗に圧力をかけられる。森友・加計学園問題の根底にあるのは、こうした指示・命令に基づかない暗黙の力関係であった。
 私の感じでは、「世間」の暴走はいよいよ歯止めがきかなくなっている。「KY」(空気読め)は、2007年の新語・流行語大賞にエントリーされたのだが、この種の同調圧力は近年ますます猛威をふるっている。はからずも今回受賞した二つの言葉は、このことを象徴的に示すことになった。
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posted by satonaoki at 11:49| NEWS