2019年09月04日

「朝日新聞」(2019年9月4日)に「世間に縛られる息苦しさ」が掲載されました。

 2019年9月4日「朝日新聞」の「耕論 ひきこもり その背景」というコーナーに、「世間に縛られる息苦しさ」との表題でインタビュー記事が掲載されました。聞き手は中村靖三郎記者。3時間ほどの取材内容を手際よくまとめています。他には、「ひきこもり名人」の勝山実さん、「当事者通信ぼそっとプロジェクト主宰」のぼそっと池井多さんが登場しています。
 内容は以下の通りです。

 九州工業大学名誉教授・現代評論家 佐藤直樹さん「世間に縛られる息苦しさ」

 日本特有の概念である「世間」を研究してきた立場から、ひきこもりの原因は世間にあると思っています。
 世間には、先輩・後輩、格上・格下などの身分を常に意識したり、「出る杭は打たれる」と言われるように異質なものを排除したりといったルールがあり、我々はがんじがらめに縛られています。そこから抑圧感や同調圧力が生まれ、ひきこもりの大きな要因になっていると言えます。古くは万葉集でも、山上憶良が「世間(よのなか)を憂しとやさしと思へども」と歌っています。
 歴史的にみると、西欧では都市化とキリスト教によって「個人」という概念が生まれ、個人が集まり「社会」ができました。日本には、明治時代に翻訳されて言葉としては入ってきましたが、本来の意味では定着せず、世間が土台に残り続けました。今でも日本に個人や社会はない、と思っています。
 他国と比べて圧倒的に犯罪が少ないのも、みんながきちょうめんに世間のルールを守るからです。一方で、自殺率が先進国の中で最悪レベルなのも、世間が生み出す同調圧力が異様に強いからです。
 さらに、ひきこもりを深刻化させているのは、世間からどう見られるかという「世間体」を家族が意識していることです。子がひきこもることを恥と考え、外に相談せず、徹底的に隠そうとする。結果としてその状況がいつまでも続く原因になっています。
 子どもの頃から「他人と違う個性的な人になりなさい」と育てられる海外とは逆に、日本では「他人に迷惑をかけない人間になりなさい」と育てられます。罪を犯すと、「親も責任を取れ」と非難され、世間にひたすら謝らないといけません。子が大人になった後もです。「ケガレの意識」から、家族ごと地域から追い出されて住めなくなる。個人がないため、親子は一体と見られ、世間と家族の境界もあいまいです。その結果、世間が家族の中にどんどん侵入してくる。
 しかも、この20年ほどで、世間の息苦しさはどんどん強まっていると感じます。元々個人なんてないのに、成果主義が広がり「競争に耐えられる強い個人になりなさい」と言われる。無理難題で、ものすごいストレスです。インターネットやスマートフォンなどの影響もあります。小学生のときからSNSなどで24時間つながることを強いられ、ネット上の匿名の関係にまで世間が肥大化しています。
 ひきこもりの苦しみから逃れるにはどうしたらいいのか。それには家族関係を見直し、親子間でも互いを個人として捉え直し、人格があると認め合うことが必要です。
 ただ、世間は千年も前から連綿と続いており、変えるのは容易ではありません。まずは自己責任論や自分が悪いと考えることを捨て、「悪いのは世間だ」と開き直ることです。そのためにも、私たちが世間に縛られているということを、認識する必要があります。(聞き手・中村靖三郎)
 1951年生まれ。専門は世間学、刑事法学。日本世間学会幹事。著書「目くじら社会の人間関係」など。
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2019年08月11日

「北海道新聞」(2019年8月4日)に河合雅司『未来の地図帳』の書評を書きました。

 「北海道新聞」(2019年8月4日)の「読書ナビ」欄に、河合雅司『未来の地図帳』(講談社現代新書)の書評を書きました。以下で期間限定でご覧になれます。
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/332077?rct=s_books
 内容は以下の通りです。

 人口減少のブキミさ提示

 評 佐藤直樹(九州工業大名誉教授)

 たしかに、最近のセブン―イレブンのフランチャイズ店の24時間営業を巡るごたごたが気になってはいた。だが正直いって、人手不足の根底にある日本の人口減少が、まさかこんなに深刻な状況だとは思ってもいなかった。本書は、2045年までに各自治体の人口減少がどれほど激烈に進むかという「不都合な真実」を、人口予測に基づき具体的数字を示して明らかにする。

 この人口減少の特徴は、「東京圏の人口膨張と、人口が大きく減りゆく地方の拡大という二極化」にある。地方から東京圏への人口流出が止まらず、地域間の人口差が極端に拡大する。たとえば現在は人口増加が続く札幌市。道内の市町村から若者を中心に人口が流入し、もともとの住民が進学や就職で東京圏などに流出する「ところてん式」になっている。しかし問題は、北海道全体としては1年間に3万人も人口が減るという、深刻な状況にあることだ。

 45年には15年比で、総人口が2067万人ほど減る。この時点で人口が最も多い都道府県は、1360万7千人の東京都。最も少ないのが44万9千人の鳥取県。人口差はじつに30倍を超える。これでは都道府県の枠組みが維持できない。ちなみに最も人口が少ない市は、813人の歌志内市。15年比で下落率はなんと77.3%減。この数字は奈良県川上村に続き全国2位の下落率で、今後自治体の存亡が問われる。

 人口減少対策ですぐに思い出すのは、外国人労働者の本格的受け入れという、安倍政権の「移民政策」だろう。だがこれは、「2019年の社会」の維持が前提の無理な手法であり、問題の根本解決にはつながらないと批判。人口減少に耐えられる国づくりへの転換こそが必要だという。

 最後に本書は、「拠点という『王国』を作る」ことや「東京圏を『特区』とする」など興味深い提言をしているが、まずは、末尾に40年時点での各市区町村の人口増減率の一覧表が載っているので、ぜひ自分が住む自治体を見てほしい。現下の人口減少のブキミさを実感していただけると思う。(講談社現代新書 929円)




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2019年07月07日

「サンキュ!」(2019年6月20日)に「「息苦しい子育て」の原因は、日本特有の「世間」にあった!?」 というインタビュー記事が掲載されました。

 2019年6月20日に「サンキュ!」というサイトに、「「息苦しい子育て」の原因は、日本特有の「世間」にあった!? 」と題して、私のインタビュー記事が掲載されました。
https://39mag.benesse.ne.jp/lifestyle/content/?id=39845&fbclid=IwAR1t5ADd-Jd444e0kxVAyoI6_vBpf-veQJbxBW-U3vgiUmaTWpDLMIk0qv4
 内容は以下の通りです。

   「息苦しい子育て」の原因は、日本特有の「世間」にあった!?

 子どもをどこかに預けて、ママだけで出かけるのは控えるべき(という周囲からの厳しい視線)。常に母であり続けなければいけない(というプレッシャー)。個人ではなく「○○ちゃんのママ」と呼びあう(ことを強いてくるママ友たち)。

……子育てをするなかで、さまざまな息苦しさを感じているママたち。その原因の大半は「世間」の仕業であり、世界中探してもほぼ日本にしかない、と提唱するかたがいます。現代評論家・九州工業大学名誉教授の佐藤直樹氏です。今回は同氏が考える「世間学」を通じて、子育てにおけるママたちの息苦しさを解消する方法を探ってみます。

(取材/みらいハウス 野際里枝、文/みらいハウス 片岡綾)

教えてくれたのは…佐藤直樹 氏
1951年、宮城県生まれ。現代評論家・九州工業大学名誉教授。専門は刑事法学、現代評論、世間学。1984年九州大学大学院博士後期課程単位取得退学。1991年英国エディンバラ大学客員研究員。「日本世間学会」幹事。著書に『犯罪の世間学−なぜ日本では略奪も暴動もおきないのか』(青弓社)、『目くじら社会の人間関係』(講談社+α新書)などがある。

【関連サイト】佐藤直樹・公式サイト

  日本特有の「世間」を考える「世間学」

――先生が提唱される「世間学」とは、どういったきっかけから始まったものなのでしょうか?

「世間」とはある種の人的関係のありかたを指す言葉ですが、日本特有の概念といってもいいでしょう。いちばんわかりやすいのは、2011年に起きた東日本大震災のときの事例です。海外のメディアでは、被災地で略奪も暴動も起こらなかったことが、驚きをもって報じられました。震災などの非常時では法のルールは吹っ飛びますが、日本には「世間」のなかに非常に細かいルールがあって、日本人はそれに従って行動するため、大規模な略奪や暴動が起きなかったと考えられます。

「世間」を理解するうえで、もうひとつわかりやすい例をあげれば、日本人は裁判を嫌うということ。アメリカは訴訟社会ですが、日本は「世間」のルールで解決することを第一に考えるのです。「裁判になると世間体が悪い」といいますが、紛争を「世間」の外側に持ち出すことになるからなのです。

私は刑事法学を学ぶなかで、家族間で起きる不幸な事件の数々も原因をさかのぼれば、この「世間」にたどり着くと気づき、1999年に歴史学者の阿部謹也さん(故人)たちと「日本世間学会」というプロジェクトを立ち上げて、「世間」のありかたを探求する世間学の研究を始めました。

 ママたちを苦しめる「世間」のルール

 −そんな日本特有ともいえる「世間」には、具体的にどのようなルールがあるのでしょうか?

日本の「世間」には、大きく分けて4つのルールがあります。1つめは、「贈与、互酬」のルールです。お中元、お歳暮、ほか日々の暮らしのさまざまな場面で頂き物をしたら、必ず「お返し」をする、ということです。2つめは、「身分制」のルール。年上・年下、先輩・後輩、格上・格下など常に上下の序列にとらわれています。

3つめは、「共通の時間意識」のルールです。みんなで同じ時間を共有しているから、私とあなたも同じであるべきという意識で、そのなかで異質なもの、出る杭は打たれます。いま小学校の運動会では、同じくらいのレベルの足の速さの子どもを集めて徒競走させるなど、差が開きすぎないように工夫することもあるそうです。そして最後の4つめは、「呪術性」のルール。俗信や迷信の類がきわめて多く、それに縛られている日本人は多く存在します。

――「世間」のルール、たしかに4つとも心当たりがあります。

2つめの「身分制」は、とくにママたちとの関係が深いかもしれません。インドの古い階級制度にカーストというものがありますが、現代日本のママたちの間にも、ある種の階級制度はありますよね。いわゆる、「ママカースト」というものです。夫がどういう仕事をしているのか、住まいは賃貸か持ち家か、一戸建てかマンションか、タワーマンションに住んでいたら高層階か低層階か……など、ママ友との間で常に格上・格下という階級を気にしながらではないと生きていけない人は一定数います。

――ママカースト、たしかにありますね……ちなみに、そういった考えはいつごろ生まれたのでしょうか?

1970年代ぐらいまでは、中間層の比率が高かったので、他人を現在ほどは気にしなくてすんだのです。ところが、現代社会は中間層が減り、家庭ごとの経済状況の差があからさまになり、いわゆる「格差社会」となりました。この現代の格差社会と「世間」が組み合わさって、ママカーストを生み出していると考えます。

 「我が子はかわいい」という母性愛神話と同調圧力

−−母性愛にも「世間」が深く関係していると聞きました。

「自分の産んだ子どもは、かわいいと思わなければいけない」という母性愛は、私にいわせれば思い込みでありナンセンスです。子どもは親とはまったくの別人格ですから、相性のよし悪しがあって当然。「我が子をかわいいと思えない自分が悪い」と母親が自分自身を追い詰めていくケースがありますが、それも「世間」の同調圧力といえます。

そもそも、母性愛が喧伝されるようになったのは、19世紀初めぐらいのこと。ヨーロッパで産業化が進み、「母親は家にいて子どもを育てる、父親は外で働く」という性別役割分業をおし進める必要があったためです。そのために母性愛が強調され、「乳幼児期は母親が育児に専念したほうが子どもの成長によい」となったのです。

日本では1960年代に、J・ボウルビィの『母性剥奪』理論にもとづく「3歳児神話」によって、「母性愛」の重要性が強化されました。3歳までは母親が側にいて世話をしないと、子どもが問題行動などを起こすという考えなどです。これが広まったことで、「子どもがグレたのは、母親の愛情がたりなかったせいだ」と非難する「世間」が生まれたわけです。ただし彼の書物をよく読むと、3歳まで育てる存在を母親と限定しているわけではない。愛情をもって接してくれる人ならば誰でもよいのです。

フランスの社会学者であるエリザベート・バダンテールも、『プラス・ラブ―母性本能という神話の終焉』(サンリオ)という本のなかで、「母性愛」は本能などではなく、母子のふれあいの中で育まれる、としています。彼女は、18世紀までのフランスでは、母親は子どもを産むと自分で育てずに、ただちに里親に出す慣行があった、といっています。つまり、母性愛は女性が先天的にもつ本能とはいえない、というわけです。

 「世間」に潰されないのは「出過ぎた杭」

――いま思えば不思議なのですが、私も「子どもを産んだら、自然と母になれる」と無意識に思っていました。しかし実際のところ、子育ては本能ではなく実践の中で学んでいくものだと徐々にわかってきています。

「子どもを産んだら、自然と母になれる」という考え方は、親と子の一体化を招き、個人として認めあえなくなる事態にもなります。その結果、親が子どもを所有物化してしまい、虐待が生まれ、経済的、精神的に究極まで追い詰められた場合に、心中という道を選んでしまうこともある。また日本では、成人した子どもが犯罪を起こした場合に、「世間」は親の責任だとバッシングをします。欧米では同じようなことがあると、親に対して激励の手紙が届いたという実例もあり、とらえかたがまったく違いますよね。

――「世間」からの同調圧力に苦しむ母親は多くいると思います。その苦しみから解放されるためには、どうすればいいのでしょうか?

防御策は、まず「無視」すること。さらに、「世間」の同調圧力に対しては、「水を差して冷ます」ことです。

「世間」は“みんな同じである”ことを強いる概念です。そして世間を構成する“みんな”は「世間体」と言い換えることもできるでしょう。この世間体に取り込まれてしまうと、理不尽だったり、苦しい思いをしたりすることになるのです。だから、“みんな”から脱却して、「世間」に対して“個人”であることを示さなければ、いつまで経っても息苦しさは解決しません。

みんなといっしょでない自分が悪いのではなく、それを強いてくる周りがおかしいのだと、受け止め方を変えるのです。さきほど「世間」を構成する4つのルールのなかで「出る杭は打たれる」と説明しましたが、じつは「出過ぎた杭」は打たれないのです。「世間」に振り回されず、「個人」として生きる努力をしてください。

【取材・文】
みらいハウス 野際里枝
東京・足立区にある育児期の女性支援拠点「みらいハウス」のライティングメンバー。育児にまつわるさまざまな取り組みをしている人や、地域をつなぐ人にスポットをあてて紹介していきます。2児の母。

みらいハウス 片岡綾
東京・足立区にある育児期の女性支援拠点「みらいハウス」のライティングメンバー。「食べるために生きる」をモットーとし、食関連の執筆を中心に、女性のエンパワメント活動などに取り組んでいます。1児の母。


posted by satonaoki at 13:24| NEWS