2019年07月07日

「デイリー新潮」(2019年6月11日)のサイトに「土下座」についてのコメントが掲載されました。

 2019年6月11日「デイリー新潮」のサイトに「田口淳之介の土下座」について、私のコメントが掲載されました。
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/06110701/?all=1&page=1

内容は以下の通りです。

  田口淳之介“20秒の土下座”は賛否両論、謝罪の専門家は「効果あり」と指摘

 6月7日、東京・湾岸警察署の前で行われた“土下座”の映像に世間は賛否両論である。思わず失笑した、パフォーマンスじゃないか、と言う人もいれば、留飲を下げた人もいたかもしれない。

 大麻取締法違反(所持)の罪で起訴されていた、元KAT―TUNメンバーの田口淳之介被告(33)が保釈された。警察署から出てきた黒いスーツ姿の田口被告は、集まった報道陣に向かって大きな声で、「このたびは私が起こしました事件で、みなさまにご心配をおかけし、誠に申し訳ございません」と謝罪。「金輪際、大麻などの違法薬物、そして、犯罪に手を染めないことをここに誓います」と反省の弁を述べたあと、「本当に申し訳ありませんでした」と言いながら地面に頭をつけて土下座をしたのである。時間にして20秒の出来事だった。

 過去、芸能人では、浮気が発覚した芸人・おばたのお兄さんが2017年にライブで土下座。淫行事件を起こしたお笑いコンビ・極楽とんぼの山本圭壱が16年にバラエティ番組で土下座したことがあった。

 脳科学者の茂木健一郎氏は8日のブログで、

「ドラッグに手を出したり、依存症になられてしまう方は、日常でストレスを感じたり、心のバランスを崩すことがきっかけになることも多いわけで、そのようなことを起こりにくくするためには心の平穏を保つことが大切で、土下座はそのような平穏に反すると思う」

 と、否定的な見解を示した。ところが、

「田口被告は、台本を読むように謝罪を述べていましたが、あの土下座で、彼を許す人も多いと思いますよ。あとはうやむやになって、事件のことは少しずつ忘れられていくでしょう」

 と語るのは、日本人の謝罪を研究している九州工業大学の佐藤直樹名誉教授だ。同教授の専門は、刑事法学、世間学、現代評論だが、11年に『なぜ日本人はとりあえず謝るのか―「ゆるし」と「はずし」の世間論』(PHP新書)を出版。略奪や暴動を起こさない、その感性を作り出す独特の秩序である「世間」を研究し、新聞、雑誌、テレビなどで評論活動を続けている。

「田口被告の土下座は違和感があるとの意見も少なくないが、日本の場合は、法律上違法行為が確定する前に謝罪するのが慣習となっています。ああいう事件を起こすと、彼に対する悪感情が生まれてしまうが、それを消してしまうのが土下座なんですよ。土下座するのを見て、世間の留飲が下がるわけです」(同)

 この20年近くで、企業が不祥事を起こすと“土下座”するケースが目立つようになってきたという。

「96年、薬害エイズでミドリ十字の幹部が土下座をしましたが、このあたりから、土下座を派手にやるようになってきました。一般の人たちがストレスのはけ口を求めている。何か不祥事を起こすと、土下座をしないと許されない。とにかく自己責任が求められ、世間からの締め付け、抑圧感が強くなってきているのです」(同)

 11年の東日本大震災で原発事故を起こした東京電力の幹部が土下座をしているし、12年には火事で7人が死亡した広島県福山市のホテルの幹部も土下座した。

 13年に放映されたドラマ「半沢直樹」(TBS)では、視聴率を大きく伸ばした一因は土下座のシーンだった。第7回では、上司に土下座させられる場面では最高視聴率34・5%を記録。最終回の土下座シーンでは46・2%もの視聴率を獲得している。

 そういえば、15年に鳩山由紀夫元総理が韓国の植民地刑務所跡地で土下座をしたこともあった。

「なんでも土下座で解決してしまう学校の先生が主人公の漫画『どげせん』なんてのもありました。けれども、私は基本的に、土下座は人間の尊厳性に反する行為ですのでやるべきではないし、やらせるべきでもないと思っています。土下座を強要すれば、刑法で強要罪に該当します。13年に、札幌市のしまむら苗穂店で、主婦が店員に土下座を強要し、その写真をネットに流したため逮捕されました。14年には、大阪のコンビニで客が店長に土下座と物品を強要して逮捕されています」(同)

 なのに、なぜ土下座はなくならないのか。

  謝罪の“最終兵器”

「もともと、土下座は貴人を敬う意味合いが強かった。江戸時代の大名行列で庶民が大名にひれ伏したわけですが、それが戦後になると様変わりしてきた。土下座は、謝罪の“最終兵器”になってしまったのです。土下座されると、まあ、お手を上げてくださいという気持ちになって、相手の謝罪を受け入れてしまいます。土下座にはそういう力があるのです。土下座することは、世間への謝罪だけではなくて、神様に対して謝る、祈りにもなっている。神様がそこにいるような、抗えない呪術力のようなものがあるんです。だから世間は受け入れざるを得なくなるのです」(同)

 田口の土下座について、嫌悪感を持つ人も最終的には受け入れるというのだ。日本の謝罪文化は、特殊なものがあるという。

「03年にハンセン病患者の療養施設・菊池恵楓園の人たちが、熊本のホテルから宿泊を拒否される事件がありました。ホテル側は、菊池恵楓園を訪れて謝罪したのですが、菊池恵楓園はこれを拒否した。すると、菊池恵楓園に対して大バッシングが起きました。なぜ謝罪を受けないのかという抗議の電話、手紙が殺到したそうです。謝罪は、時として当事者だけの問題ではなくなります。世間も巻き込んでしまう。その謝罪の“最終兵器”が土下座なんです。土下座をすれば世間が認めてくれるので、簡単に土下座に走ってしまうわけですね」(同)

 田口の心中や如何に。

週刊新潮WEB取材班







posted by satonaoki at 13:08| NEWS

2019年05月30日

「北海道新聞」(2019年5月26日)に山田孝明『親の「死体」と生きる若者たち』の書評が掲載されました。

 2019年5月26日「北海道新聞」の「読書ナビ」のコーナーに、山田孝明『親の「死体』と生きる若者たち』の書評が掲載されました。
 内容は以下の通りです。

「8050問題」衝撃的な現状
評 佐藤直樹(九州工業大名誉教授)
 
 2018年1月に札幌市中央区のアパートの一室で、母親(82)と娘(52)が遺体で発見された。娘は長年ひきこもりの状態にあり、収入は母親の年金のみ。生活はひどく困窮していた。飢えと寒さで母親が先に亡くなり、その後に娘が衰弱死したものとみられる。
 50代のひきこもりの子と80代の親が社会的に孤立し困窮する、いわゆる「8050問題」。中には、母親の遺体を放置したために、息子が死体遺棄容疑で逮捕されたケースすら起きている。本書は、家族支援の市民の会を主宰する著者と、ひきこもりの当事者によって書かれた、壮絶な現場からの衝撃的な現状報告だ。
 孤立と困窮が深まる絶望的な現状に対して、これまで「対策の急務」が叫ばれてきた。だが、14年度の小中高の不登校児童・生徒の総数は17万人以上。これが25年前は3万弱。この異常な増加に対する施策は十分か。本書は「子供視点・若者視点が欠落して、行政がしたい支援をしている」と批判。そして「もう手遅れだと思う」と断言する。なぜか?
 これほどまでにひきこもりが深刻化したのは、この20年の間に社会に「発達障害」という言葉が蔓延(まんえん)し、不登校問題を個人に押しつけ、子どもを学校から排除する自己責任論が強まったこと。その結果、「コミュニケーションが苦手」と訴える若者が増え、仲間や集団のなかで安心していられる場所がなくなったからである、と。
 最新の内閣府の推計によると、40〜64歳のひきこもり状態にある人は61万3千人。総数でなんと100万人以上になるという。この深刻な事態に、何か対策があるのか?
 本書は「手遅れ」としつつ、それでも希望を捨てていない。行政機関やケアマネジャーなどがチームを組み、「社会的な善意の介入を行うことが不可欠」だという。なるほどね。いよいよ「見て見ぬふり」をやめ、「いらぬおせっかい」が真に必要な時代がやってきた、ということなのだろう。













posted by satonaoki at 20:26| NEWS

2019年05月12日

「北海道新聞」(2019年5月10日)に「不適切動画と政治家失言」が掲載されました。

 「北海道新聞」(2019年5月10日)の「各自核論」コーナーに、「不適切動画と政治家失言−希薄な社会意識根深く」が掲載されました。最近の若者の不適切動画の投稿と政治家の失言には共通点があり、それは両方とも「社会が見えていない」ことであると論じました。
 内容は以下の通りです。

 若者による不適切動画のネット投稿が止まらない。2月には、「くら寿司」「セブン−イレブン」などで悪ふざけ動画の投稿が相次いで発覚した。被害を受けた運営会社などは、刑事告訴や損害賠償請求などを検討。また4月にも、渋谷交差点で男性が寝そべった状態のベッドを置く動画が投稿され、警視庁が道交法違反容疑で捜査しているという。
 ちょっと考えれば、結果の重大さはすぐに分かりそうなものだが、いったいなぜこうも頻発するのか? たんに無思慮な若者のおバカな暴走にすぎないのか。しかし私にはここに、日本の社会構造に由来する根の深い問題が潜んでいると思える。
 これまで多く指摘されているのは、仲間ウチでの「承認欲求」の肥大化である。もちろん、他人から認められたいという感情は誰でもあると思う。だがそれが今や、とくに若者の間で強迫的なぐらいに広がっている。評価の基準は、SNS(会員交流サイト)で「いいね!」がどれだけ獲得できるか、どれだけ多くの人に注目されるか、どれだけ派手に受けるか、である。
 それにしても奇妙なのは、ネットは世界に広く開かれているという意味で「社会」に他ならないのだが、これに向けて発信している自覚がまるでないことだ。仲間ウチのSNS、つまり自分のミウチである「世間」にしか関心がなく、そこで受けることしか考えていない。このため動画の内容がどんどんエスカレートし過激になる。
 とはいえ、社会が見えていないという意味では、これは若者だけに特有の問題であるとはいえない。根が深いと思うのはこの点である。意外に思われるかもしれないが、じつは近年頻発する政治家の失言も、若者の不適切動画の投稿と本質は変わらない。
 たとえば2月に麻生太郎副総理が、地元集会で少子高齢化問題をめぐって「子どもを産まなかった方が問題」と発言。4月には塚田一郎国交副大臣が、選挙集会で地元の道路整備をめぐって総理・副総理へ「私が忖度した」発言で更迭。さらに桜田義孝五輪担当大臣が、自民党衆議院議員のパーティーで議員の名前をあげて「復興以上に大事」と発言し更迭された。
 いずれも仲間ウチである支持者を前にした発言であり、ある意味ホンネといってよいのだが、社会という観点からはまったく許されない失言である。にもかかわらず若者も政治家も、なぜこれほどまでに社会という意識が希薄なのか。
 「世間」は万葉の時代以来千年以上の歴史があるが、そもそも「社会」は江戸時代にはなく、近代化=西欧化によってsociety を翻訳した舶来品にすぎない。明治以降日本人は、この伝統的な世間と、舶来品の社会の二重構造を生きることを余儀なくされた。しかも現在でも世間につよく縛られているために、世間がホンネであって、社会はタテマエにすぎない。
 タテマエにすぎないので、社会に生きているという実感が乏しい。実感がないために、興味がまわりの狭い世間に限定される。世間のソトの人間、つまり他者に見られているという感覚がないので、それが社会からすれば明白に違法な行為であったり、厳しく非難される言動であっても、世間のウチでの承認や支持のほうが優先される。
 これは若者も政治家も何ら変わらない。大事なのはミウチである世間なので、そこではホンネが語られる。社会の存在などタテマエにすぎず、他者の存在も頭から完全に脱落しているために、仲間ウチで受け狙いの過激な言動が頻発することになる。
 私は日本の社会問題の殆どは、この二重構造に由来すると考えている。このことの徹底した自覚なしには、この先も不適切動画の投稿や政治家の失言を止めるのは難しい。

(著者紹介)さとうなおき 51年宮城県生まれ。現代評論家。専門は世間学、現代評論、刑事法学。「日本世間学会」幹事。著書に「目くじら社会の人間関係」「犯罪の世間学」など多数。








posted by satonaoki at 12:31| NEWS