2018年02月02日

「10MTVオピニオン」(2018年2月2日)というサイトで『目くじら社会の人間関係』が紹介されました。

 2018年2月2日にネットの「10MTVオピニオン」というサイトで、『目くじら社会の人間関係』が紹介されました。タイトルは、「なぜ一億総『目くじら社会』になってしまったのか」。内容は、本のコンパクトな要約になっていて、これを読めば何が書いてあるか的確に分かります。
 以下のサイトでご覧になれます。
 http://10mtv.jp/pc/column/article.php?column_article_id=1554
 
 なお内容は、以下の通りです。
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 このところ、謝罪会見が異様に多いと思いませんか。また、「空気を読め」という同調圧力が強く、バッシングやSNS炎上、ヘイトも頻発しています。なぜ、日本人はこんなにも目くじらを立てるようになったのでしょうか。『目くじら社会の人間関係』(佐藤直樹著、講談社)を参考に「目くじら社会」の真相に迫ります。
 著者の佐藤直樹氏は九州工業大学名誉教授で、目くじら社会と大きく関係する「世間」について研究する世間学の第一人者でもあります。1999年に日本世間学会を設立し、初代代表幹事として参画しました。著書に『なぜ日本人は世間と寝たがるのか: 空気を読む家族』(春秋社)、『「世間」の現象学』『犯罪の世間学: なぜ日本では略奪も暴動もおきないのか』(ともに青弓社)などがあります。

●1998年がターニングポイント

 佐藤氏は、「世間」の狂暴化が目くじら社会の原因になったと考えています。「世間」とは伝統的な人間関係、あるいは古いしきたりのようなもので、明治時代以降、西洋化の浸透とともにいずれは消滅していくだろうと考えられていました。ところが、1998年頃をさかいに世間は復活をとげ、逆に暴走し始めたと佐藤氏は見ています。
 1998年頃に何が起こったかというと、人々の競争を促すグローバル化と新自由主義の浸透です。この頃、規制緩和や構造改革が叫ばれ、職場には成果主義がもちこまれました。これをもって年功序列と終身雇用をベースとする日本的雇用制度は崩壊していくことになります。
 競争の激化にともなって、逆に世間の同調圧力が急に高まりました。つまり世間の逆襲です。これが目くじら社会誕生のきっかけとなりました。

●日本人が電車で席を譲れない理由

 さきほど「『世間』とは伝統的な人間関係、あるいは古いしきたりのようなもの」と伝えましたが、世間は日本だけの独特の考え方です。西洋はもちろん、お隣の韓国や中国にも世間はありません。世間と対比されるのが社会です。社会が契約関係、法の下の平等、個人主義、聖・俗の分離、実質性の重視、平等性などに基づいているのに対して、世間は贈与・互酬の関係、身分制、集団主義、聖・俗の融合、儀式の重視、排他性(ウチ・ソトの区別)に従います。
 こうして社会と世間の違いを列挙してみると、たしかに日本人は社会より世間を重視していように思えます。たとえば、個人の犯罪に対してその家族が大バッシングを受けるのは世間の集団主義が強く関係しているのでしょう。
 もっと身近な例でいえば、日本人が電車で席を譲るのが下手なのは、ウチ・ソトを厳格に区別するからです。身内には親切にできても、ソトと判断したヨソ者や赤の他人にはぎこちない対応をしてしまいます。

●生活保護受給者バッシングの真実

 生活保護受給者に対する視線が厳しいことも世間が関わっています。生活保護の受給は法の下における個人の権利です。正しい手続きのもとで受給すれば、他人からとやかく言われる筋合いはないはずです。
 ただし、日本では社会より世間が優位に置かれています。世間には抗えません。世間が敵視したものは合法だろうがなんだろうが攻撃の対象となってしまうのです。
 その他、セクハラ、少子化・晩婚化、夫婦別姓、アイドルの恋愛禁止、付き合い残業や過労死、家より会社に安心感を抱く日本人、自殺率が高いなど、日本のさまざまな社会問題に世間のルールが大きな影響を及ぼしていると佐藤氏は指摘しています。

●「やさしい世間」のための6箇条

 とはいえ、必ずしも世間が悪いというわけではありません。災害時の無法地帯で助け合いができるのは世間のおかげです。問題は、どうすれば目くじら社会を克服できるのか、ということです。それは「きびしい世間」から「やさしい世間」に転換を図ることで、「やさしい世間」を実現するために一人一人が実践できる6箇条を佐藤氏は記しています。以下、要約してお伝えします。
01:みんな一緒じゃなくてもいい。「いろんな人がいてもよい」と考える。
 個人を生かすという発想を大切にしましょうということです。日本はタテ社会だけど実はヨコ(=世間)の圧力もかなり強いのです。それに同調しないように心がけることですね。
02:他人をねたまない。他人は他人、自分は自分と考える。
 日本には独特の「ねたみ」意識があります。日本社会は表面的には平等主義を掲げながら、実態はかなり不平等な社会構造になっているため、そのねじれが「ねたみ」が発生する原因です。世間は排他性が強い点も主な特徴のひとつです。
03:つきあい残業をやめる。
 世間は共感によって成り立っています。共感といえば聞こえはいいですが、共感過剰は過労死を生みだします。01と同様に「みんな一緒じゃなくていい」のです。
04:「お返し」の過剰は控えよう
 日本には「お返し」文化があります。「お返し」は悪いことではありませんが、お中元・お歳暮や香典返しから返信メールまで、心理的負担を感じたら考えなおしたほうがいいということです。ほどほどが一番なのですね。
05:前世、聖地巡礼やパワースポット巡りが好きな人は要注意。
 いわゆるスピリチュアルものは怪しいものも少なくありません。日本人は無宗教といっても、実は信仰心はけっこうあついため信じ込みやすいといえます。あまり惑わされないように気をつけたほうがいいということです。
06:イエ意識にとらわれないようにする。
 イエとは家のことです。家族を大切に思う気持ちは大事なことですが、自分を犠牲にしてまで責任をとることはありません。とくに親の責任を過剰に考えないようにすることです。
 いかがですか。この機会に一度、世間について考えてみてはどうでしょう。

<参考文献>
『目くじら社会の人間関係』(佐藤直樹著、講談社)
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062915038
<関連サイト>
佐藤直樹氏のホームページ
http://satonaoki.com/
(10MTV編集部)










posted by satonaoki at 12:37| NEWS

2018年01月19日

「AERA」(2018年1月22日号)の「一生消えぬ『殺人者の家』」という記事で、コメントが載りました。

 「AERA」(2018年1月22日号)の「一生消えぬ『殺人者の家』」という記事に、私のコメントが載りました。
 記事では、日本で犯罪加害者家族は、たとえそれが成人の犯罪であっても責任を追求され、「世間」から徹底して排除されることを指摘しています。

 内容は、以下でご覧になれます。
 https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180116-00000082-sasahi-soci

 私のコメント部分は、つぎの通りです。

 ただ、加害者家族への支援は異論もあるのも確かだ。家族を奪われ、あるいは傷つけられた被害者家族の苦しみを思えば、加害者家族の支援に否定的な意見も少なくない。この点について、刑法学者で九州工業大学の佐藤直樹名誉教授は(1)再犯防止、(2)自殺・心中の予防、(3)人権の確立。この3点から、犯罪加害者の支援は必要と説く。
「日本の社会には罪を償った加害者を受け入れる余裕がなく、社会的排除は加害者の再犯の可能性を高くし、さらに加害者家族を苦しめます。また、加害者家族は自責の念から自殺を考え、心中に追い込まれることもある。罪を犯していない家族に制裁を加える社会は、人権が確立されていない社会といえます」


posted by satonaoki at 13:07| NEWS

2018年01月07日

「出版ニュース」(2018年1月上・中旬号)に「今年の執筆予定」が掲載されました。

 「出版ニュース」(2018年1月上・中旬号)に、「アンケートによる 今年の執筆予定」が掲載されました。
 内容は以下の通りです。

● 二〇一七年は、『目くじら社会の人間関係』(講談社+α新書)を上梓した。近年の「ネット世間」の成立によって、「世間」の同調圧力がますます強まり、ちょっとしたことに目くじらを立てる「一億総目くじら社会」になっていることを、ブログの炎上や謝罪の強要など具体的なケースを取り上げて論じたものだ。
 ● 二〇一八年は、『加害者家族と「世間」』(出版社未定)の執筆を予定している。昨今の犯罪の加害者家族にたいするバッシングのひどさは、日本には海外にはない「世間」が存在するためである。このことの意味を考えてみたい。
 なお一七年に引き続き、「北海道新聞」の「各自核論」のコーナーに評論を不定期連載中である。(詳しくは http://www.satonaoki.comを参照されたい)。

 
posted by satonaoki at 12:04| NEWS