2019年05月30日

「北海道新聞」(2019年5月26日)に山田孝明『親の「死体」と生きる若者たち』の書評が掲載されました。

 2019年5月26日「北海道新聞」の「読書ナビ」のコーナーに、山田孝明『親の「死体』と生きる若者たち』の書評が掲載されました。
 内容は以下の通りです。

「8050問題」衝撃的な現状
評 佐藤直樹(九州工業大名誉教授)
 
 2018年1月に札幌市中央区のアパートの一室で、母親(82)と娘(52)が遺体で発見された。娘は長年ひきこもりの状態にあり、収入は母親の年金のみ。生活はひどく困窮していた。飢えと寒さで母親が先に亡くなり、その後に娘が衰弱死したものとみられる。
 50代のひきこもりの子と80代の親が社会的に孤立し困窮する、いわゆる「8050問題」。中には、母親の遺体を放置したために、息子が死体遺棄容疑で逮捕されたケースすら起きている。本書は、家族支援の市民の会を主宰する著者と、ひきこもりの当事者によって書かれた、壮絶な現場からの衝撃的な現状報告だ。
 孤立と困窮が深まる絶望的な現状に対して、これまで「対策の急務」が叫ばれてきた。だが、14年度の小中高の不登校児童・生徒の総数は17万人以上。これが25年前は3万弱。この異常な増加に対する施策は十分か。本書は「子供視点・若者視点が欠落して、行政がしたい支援をしている」と批判。そして「もう手遅れだと思う」と断言する。なぜか?
 これほどまでにひきこもりが深刻化したのは、この20年の間に社会に「発達障害」という言葉が蔓延(まんえん)し、不登校問題を個人に押しつけ、子どもを学校から排除する自己責任論が強まったこと。その結果、「コミュニケーションが苦手」と訴える若者が増え、仲間や集団のなかで安心していられる場所がなくなったからである、と。
 最新の内閣府の推計によると、40〜64歳のひきこもり状態にある人は61万3千人。総数でなんと100万人以上になるという。この深刻な事態に、何か対策があるのか?
 本書は「手遅れ」としつつ、それでも希望を捨てていない。行政機関やケアマネジャーなどがチームを組み、「社会的な善意の介入を行うことが不可欠」だという。なるほどね。いよいよ「見て見ぬふり」をやめ、「いらぬおせっかい」が真に必要な時代がやってきた、ということなのだろう。













posted by satonaoki at 20:26| NEWS

2019年05月12日

「北海道新聞」(2019年5月10日)に「不適切動画と政治家失言」が掲載されました。

 「北海道新聞」(2019年5月10日)の「各自核論」コーナーに、「不適切動画と政治家失言−希薄な社会意識根深く」が掲載されました。最近の若者の不適切動画の投稿と政治家の失言には共通点があり、それは両方とも「社会が見えていない」ことであると論じました。
 内容は以下の通りです。

 若者による不適切動画のネット投稿が止まらない。2月には、「くら寿司」「セブン−イレブン」などで悪ふざけ動画の投稿が相次いで発覚した。被害を受けた運営会社などは、刑事告訴や損害賠償請求などを検討。また4月にも、渋谷交差点で男性が寝そべった状態のベッドを置く動画が投稿され、警視庁が道交法違反容疑で捜査しているという。
 ちょっと考えれば、結果の重大さはすぐに分かりそうなものだが、いったいなぜこうも頻発するのか? たんに無思慮な若者のおバカな暴走にすぎないのか。しかし私にはここに、日本の社会構造に由来する根の深い問題が潜んでいると思える。
 これまで多く指摘されているのは、仲間ウチでの「承認欲求」の肥大化である。もちろん、他人から認められたいという感情は誰でもあると思う。だがそれが今や、とくに若者の間で強迫的なぐらいに広がっている。評価の基準は、SNS(会員交流サイト)で「いいね!」がどれだけ獲得できるか、どれだけ多くの人に注目されるか、どれだけ派手に受けるか、である。
 それにしても奇妙なのは、ネットは世界に広く開かれているという意味で「社会」に他ならないのだが、これに向けて発信している自覚がまるでないことだ。仲間ウチのSNS、つまり自分のミウチである「世間」にしか関心がなく、そこで受けることしか考えていない。このため動画の内容がどんどんエスカレートし過激になる。
 とはいえ、社会が見えていないという意味では、これは若者だけに特有の問題であるとはいえない。根が深いと思うのはこの点である。意外に思われるかもしれないが、じつは近年頻発する政治家の失言も、若者の不適切動画の投稿と本質は変わらない。
 たとえば2月に麻生太郎副総理が、地元集会で少子高齢化問題をめぐって「子どもを産まなかった方が問題」と発言。4月には塚田一郎国交副大臣が、選挙集会で地元の道路整備をめぐって総理・副総理へ「私が忖度した」発言で更迭。さらに桜田義孝五輪担当大臣が、自民党衆議院議員のパーティーで議員の名前をあげて「復興以上に大事」と発言し更迭された。
 いずれも仲間ウチである支持者を前にした発言であり、ある意味ホンネといってよいのだが、社会という観点からはまったく許されない失言である。にもかかわらず若者も政治家も、なぜこれほどまでに社会という意識が希薄なのか。
 「世間」は万葉の時代以来千年以上の歴史があるが、そもそも「社会」は江戸時代にはなく、近代化=西欧化によってsociety を翻訳した舶来品にすぎない。明治以降日本人は、この伝統的な世間と、舶来品の社会の二重構造を生きることを余儀なくされた。しかも現在でも世間につよく縛られているために、世間がホンネであって、社会はタテマエにすぎない。
 タテマエにすぎないので、社会に生きているという実感が乏しい。実感がないために、興味がまわりの狭い世間に限定される。世間のソトの人間、つまり他者に見られているという感覚がないので、それが社会からすれば明白に違法な行為であったり、厳しく非難される言動であっても、世間のウチでの承認や支持のほうが優先される。
 これは若者も政治家も何ら変わらない。大事なのはミウチである世間なので、そこではホンネが語られる。社会の存在などタテマエにすぎず、他者の存在も頭から完全に脱落しているために、仲間ウチで受け狙いの過激な言動が頻発することになる。
 私は日本の社会問題の殆どは、この二重構造に由来すると考えている。このことの徹底した自覚なしには、この先も不適切動画の投稿や政治家の失言を止めるのは難しい。

(著者紹介)さとうなおき 51年宮城県生まれ。現代評論家。専門は世間学、現代評論、刑事法学。「日本世間学会」幹事。著書に「目くじら社会の人間関係」「犯罪の世間学」など多数。








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2019年03月17日

「西日本新聞」(2019年3月17日)に「社会はタテマエ、実感乏しく−バイトテロと『世間』」が掲載されました。

 2019年3月17日「西日本新聞」に、バイトテロと「世間」について書いた「社会はタテマエ、実感乏しく」が掲載されました。
 以下でご覧になれます。
 https://www.nishinippon.co.jp/nnp/opinion_view/article/494916/
 内容は以下の通りです。

 社会はタテマエ、実感乏しく−バイトテロと「世間」

 若者の「バイトテロ」が止まらない。 1月〜2月にかけて「くら寿司」「セブン−イレブン」「大戸屋」などで不適切動画の投稿がつぎつぎと発覚。今回被害を受けた店の運営会社などは、アルバイト店員の刑事告訴や損害賠償請求など、法的措置を検討しているという。
 その代償はきわめて大きいのに、いったいなぜ頻発するのか? 若者の悪ふざけは昔からあったという意見がある。アルバイトの劣悪な労働条件への抗議だとみる人もいる。ネット社会に特有の現象だとする見方もある。どれも外れていないと思うが、私が気になるのは、最近の「インスタ映え」と同じく、仲間ウチでの「承認欲求」の肥大化である。
 もちろん、他人から認められたいという感情は誰でもあると思う。だが、それが今やとくに若者の間で強迫的なぐらいに広がっている。評価の基準は、「いいね」がどれだけ獲得できるか、どれだけ多くの人に注目されるか、どれだけ派手に受けるか、である。
 しかも奇妙なのは、ネットは世界に開かれているという意味で「社会」に他ならないのだが、これに向けて発信している自覚がまるでないことだ。仲間ウチのSNS、つまり自分の「世間」にしか関心がなく、そこで受けることしか考えていない。このため行動がどんどんエスカレートし過激になる。
 とはいえ、これは若者だけに特有の問題ではない。世間は千年以上の伝統があるが、そもそも社会は江戸時代にはなく、近代化=西欧化によって外部からつけ加わった舶来品にすぎない。明治以降日本人は、この世間と社会の二重構造を生きることになった。現在でも伝統的な世間に縛られ、世間がホンネであって、社会はタテマエにすぎない。
 タテマエにすぎないので、社会に生きているという実感が乏しい。実感がないために、興味が周りの狭い世間に限定される。世間のソトの人間にみられているという感覚がないので、それが社会からすれば明白に違法な行為であっても、世間のウチでの承認のほうが優先される。
 ようするに、世間での承認欲求が肥大化し、社会の存在が頭から完全に脱落してしまったのが、バイトテロの本質ではないかと思う。


posted by satonaoki at 20:18| NEWS