2021年12月31日

「ダイヤモンドオンライン」(2021年12月31日公開)に「『同調圧力』が日本成長の足枷に、職場の“謎ルール”廃止が改革の第一歩」が掲載されました。

 「ダイヤモンドオンライン」(2021年12月31日公開)に、「『同調圧力』が日本成長の足枷に、職場の“謎ルール”廃止が改革の第一歩」が掲載されました。
 https://diamond.jp/articles/-/291949
(上は有料記事です)。

内容はほぼ以下の通りです。

 ●コロナ禍でも示された
 ●日本社会の強い同調圧力
 
 新型コロナウイルス禍が図らずも露呈させたのは、欧米には見られない日本社会の同調圧力の強さだ。
 もともと公衆衛生の意識が高いこともあって、街でもほぼ全員がマスクをしているし、遅れていたワクチン接種も、接種率は短期間に主要国で上位になっている。
 その陰で、職場ではワクチンを受けていない人へのハラスメントもあったが、コロナ禍では日本的な同調社会はどちらかといえばプラスに働いたと思われる。
 だが、世界との経済競争では成長の足を引っ張っていることをそろそろ自覚する必要がある。

 ●古い歴史を持つ「世間」に
 ●独特のルールが存在

 このことを再認識させられたのは、今年ノーベル物理学賞を受賞した真鍋淑郎さんの、10月のアメリカにおける受賞記者会見での発言を聞いた時だ。
 真鍋さんは国籍を米国に変えた理由を記者に訊ねられ、「日本の人々は、いつもお互いのことを気にしている。調和を重んじる関係性を築く」からであり、「私はまわりと協調して生きることができない」からだと説明していた。そして、「アメリカでは自分のしたいようにできます。他人がどう感じるかも気にする必要がありません」とも語った。
 いうまでもないが、真鍋さんのいう「いつもお互いのことを気にしている」「調和を重んじる関係性を築く」が、日本の同調圧力のことだ。
 この発言を受けて、まわりと違う独創性が要求されるのは、研究者など特殊な世界の問題にすぎないとの意見もあった。
 しかし、同調圧力は日本のあらゆる組織や集団に宿痾のように存在し、たんに息苦しいだけではなく、いまや日本の経済発展を阻害する大きな要因となっている。
この意味で真鍋さんの発言はもっと深刻に受け取られる必要があると思う。
 なぜ、真鍋さんは米国籍を選んだのか? 私には容易に想像できる。アメリカには個人から構成される社会はあるが、日本のような息苦しい「世間」はないからだ。
 「世間」は英語に翻訳できない。現在の英語圏には「世間」は存在しないからだ。「世間」は、『万葉集』にも出てくる日本の伝統的な人間関係のことだ。
 ただ意外なことに、じつは欧州でもかつては日本と同じような「世間」が存在した。
 しかし12世紀前後になって、農村から都市に人口が流入する都市化と、自らの罪を神に告白するキリスト教の「告解」が普及することで、「個人」が生まれ、「世間」が否定されて「社会」に変わった。
 日本では明治時代に、individualとその集合体であるsociety が輸入され、個人と社会と翻訳された。江戸時代には個人も社会もなかったのだが、問題なのは、おそらく現在でも、個人も社会も言葉はあるが、その実体がないことだ。
 「世間」はきわめて古い歴史をもつために、そこには同調圧力を生み出す独特のルールが存在する。とくに日本人は個人としての自立した意識が希薄だ。極論すれば日本では個人が存在しないために、自他の区別がはっきりしない。欧米のように「自分は自分。他人は他人」にならないので、「世間の目」がつねに気になる。
 「出る杭は打たれる」というように、他人と少しでも違った行動をとると叩かれ、まわりと協調して生きることを強いられることになる。

 ●「日本的経営」の根幹にも
 ●「世間のルール」による同調圧力

 そして会社をはじめとする日本の組織や集団は、すべて「世間」にほかならない。だからそこには、同調圧力を生み出す独特の「世間のルール」が貫徹している。
 この点で興味深いのは、1970年代に日本を「ジャパン・アズ・ナンバーワン」にまで押し上げた「日本的経営」の特徴が、「終身雇用制度」と「年功序例制度」にあったことだ。
 このうち終身雇用制度は、海外には存在しない「お中元・お歳暮」のやり取りに代表されるような、「お返しルール」に基づくものといってよい。つまり会社が福利厚生の充実などを通じて、定年まで社員の面倒をみる「お返し」として、社員は家族と離ればなれになる単身赴任といったような犠牲を払って、会社に忠誠を誓うわけだ。 
 年功序列制度は、「年上・年下、目上・目下、先輩・後輩、格上・格下」など上下関係の序列を意味する、「身分制ルール」に基づいている。たとえ仕事ができない先輩の給料が自分より高くとも、先輩や年上がエライので、年功型賃金に抵抗感が少ないのだ。

 ●『モノ作り経済』では
 ●生産性向上の原動力に

 面白いことに、電機・自動車工業など第二次産業を中心とする「モノ作り経済」の時代には、「世間のルール」による同調圧力の存在はプラスに働いた。
 そこでは、均質な製品を効率的に生産するために、空気を読んで、先輩のいうことをよく聞く、同質的で従順な、協調性のある人材が求められたからだ。
 たとえば、就業時間外に実施される「自主的」な活動である「QC(品質管理)サークル」が、1960年代後半以降日本の職場で急速に拡がったのは、参加しない従業員にたいして上司や同僚から、「会社への忠誠心が足りないぞ」とか「空気読めよ」といった同調圧力がかかったからだ。
 これがトヨタなどの生産現場全体の「カイゼン」活動につながってゆき、「モノ作り」における生産性向上の原動力となったのだ。
 ところが周知のように、1990年代にサービス・情報産業など第三次産業中心の「ポスト工業経済」の時代に入って以降、日本経済は長期的低迷を続けている。労働者の平均年収は、ここ20年以上、他の先進国が上昇し続けているのとは対照的に、日本はほとんど横ばいである。一人当たりのGDPも、先進国のなかで順位が下がり続けている。
 
 ●グローバル化、IT化で成長阻害要因に
 ●重視されるのは独創性を持つ「個人」

 いったいなぜ、このような長期的低迷が続くことになったのか? 
 1990年代以降のグローバル化とボーダーレス化、そしてとりわけIT化によって、イノベーションこそが産業発展の原動力となったからである。つまりそこでは、「モノ作り経済」の時代に要求された、同質的で従順な協調性のある人間ではなくて、イノベーションの主体となる突出した意欲や独創性をもつ個性、ようするに「個人」が必要とされるようになったからだ。
 とくに、グローバル化による「新自由主義」の浸透によって、人々は競争に耐えうるような「強い個人」になることが要求された。職場では年功序列にかわり成果主義が導入され、人々は同僚との慣れない競争を強いられて、1990年代末には年間の自殺者が 2万人台から一挙に3万人を超え、うつ病も激増した。
そうしたストレスが「世間」に蓄積されることで、同調圧力がますます肥大化してきたのが現実だ。
 「ポスト工業経済」の時代になったいまでも、他の先進国とは異なり、日本では「世間」が連綿と続いてきたために、そこに個人が生まれることがなく、ユニークな価値を創造し、イノベーションを起こせるような人材が育ってこなかった。その結果として、職場でのダイバーシティも遅々として進んでいない。「世間」の同調圧力の存在が、いまや日本の経済発展を阻害する大きな要因となっているのだ。

 ●「謎ルール」を発見し廃止を
 ●職場での自由闊達な議論から

 では、どうすればよいのか? 
 政府のいう「働き方改革」がさっぱり進まないのは、問題の深刻さが理解されていないからだ。「社会改革」という言葉はあるが、「世間改革」という言葉はない。社会は変えられるが、「世間」は変わらないと信じられているからだ。
 「改革」は容易ではないが、同調圧力の根底に「世間」がある以上、組織や集団に根づく合理的根拠のない「謎ルール」を発見し、地道に廃止してゆくという方法がある。
 イノベーションが生まれるためには、何よりも職場で多様なメンバーが個性を発揮し、自由闊達に対話や議論ができることが前提である。つまりそこでは、いわゆる「心理的安全性」(組織やチームで立場・経験に関わらず、率直に意見を言い合える状態)が必要になる。
 たとえば、過労死はそのまま英語になっており、日本特有の現象だといわれる。2015年に過労自殺した電通の高橋まつりさんは、「『年次の壁は海よりも深い』という村の掟みたいな社風を忘れて年の近い先輩に馴れ馴れしい口をきいて怒りを買ってしまい、わたしの精神がまた傷ついてしまった」と、自殺の2カ月前にツイッターでつぶやいている。
 これは職場に、「年次の壁は海よりも深い」という先輩・後輩の「身分制ルール」があるために、先輩にたいして自由な発言ができないという、「心理的安全性」を欠いた状態があるということだ。
 まずは、「心理的安全性」を阻害する、こうした「世間」の「謎ルール」を発見し、廃止することだ。ひいてはそれが、職場で自由闊達な対話や議論ができる空気を醸成し、そこに個人を生み出すきっかけになるはずだ。







posted by satonaoki at 10:06| NEWS

2021年12月30日

「毎日新聞」(2021年12月29日)の「論点」の欄に「バッシング考-根底に世間の同調圧力」が掲載されました。

2021年12月29日の「毎日新聞」(朝刊)のオピニオン面である「論点」に、「バッシング考」というテーマで、「根底に世間の同調圧力」というインタビュー記事が掲載されました。聞き手は宇田川恵記者。とくに小室さんへのバッシングの根底には「世間」があり、そこから生まれる「共感過剰シンドローム」が、人々の「迷惑をかけられた」と思い込んでしまう意識を作り上げていること、「世間」がきわめて古い歴史をもち、いまだに家意識が残っているために、結婚が家と家とのつながりと考えられていることなどを指摘しました。
このコーナーでの他の論者は、フォトジャーナリストの安田菜津紀さんと、名古屋大学準教授の河西秀直哉さんです。
https://mainichi.jp/articles/20211229/ddm/004/070/009000c

内容は以下の通りです。
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「論点・バッシング考」

「世間」評論家、佐藤直樹
 1951年生まれ。九州大助手、英国エジンバラ大客員研究員、九州工業大教授などを経て、同大名誉教授。著書に「同調圧力」(鴻上尚史氏との共著)など。=藤井太郎撮影

「根底に世間の同調圧力」

 小室圭さんへの攻撃をはじめ日本で起きているあらゆるバッシングの根底にあるのは、欧米などには存在しない「世間」であり、世間の中で強まっている「同調圧力」だと思う。
 世間とは、日本人が集団になった時に、その空間に生まれる力学的なものだ。欧州でも12世紀前後までは世間があった。だが、キリスト教が広がり、神と向き合う「個人」が生まれ、個人が集まって「社会」が作られた。社会は法というルールで支配され、世間は消えた。
 日本では1000年以上前から世間が連綿と続いている。近代化に伴い社会を作ろうとしたが世間は壊れず、世間と社会の二重構造になった。社会はあくまで建前で、世間が本音なのだ。例えば「友引」の日に葬式をしないのは世間のルールで生きているからだ。
 そんな世間には同調圧力を強める多くの問題がある。一つが「共感過剰シンドローム」だ。日本人なら終業時間がきても、同僚が仕事をしていれば帰宅しにくい。個人が確立された欧米では、あり得ないことだ。つまり日本人は自分は自分、他人は他人、と考えられない。小室さんの結婚はそもそも人ごとなのに、自分のことのように感じる。特に多くの税金が使われる可能性があるなどと知ると、自分がものすごく迷惑をかけられていると思ってしまう。
 憲法は「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立」すると定めているが、世間の本音は違う。家制度の意識が強く残り、結婚は家と家とのつながりだと考える。小室さんの結婚は、ましてや天皇家にかかわる問題だ。さらに迷信や俗信が山のようにある世間では天皇制は神秘性を持ち、これを壊しかねない事態を容認できない。
 世間では家族の中も個人と個人の関係になっていない。だから小室さんは母親の金銭トラブルを「息子なら責任をとれ」と攻撃された。小室さんへのバッシングが異様だったのは、世間が抱えるあらゆる問題が噴出したからだ。
 世間を社会に変えなければいけない。だが、この約20年で逆に強固になっている。グローバル化や新自由主義が広がる中、人々は激しい競争にさらされ、首を絞め合い、寛容性を失って同調圧力は強まった。そして新型コロナウイルス禍で世間はついに暴走した。「感染した」という、それだけの理由で本人ばかりか家族まで激しく攻撃されるのは日本だけの現象だろう。その根底には「病はケガレ(悪)」という考えがある。
 世間を変えるのは簡単ではないが、地道に変えるしかない。「謎ルール」を見つけて廃止するのが一つの方法だ。例えば「夫婦(めおと)茶わん」。夫用が大きく妻用が小さいのは男尊女卑の意識があるからで、欧米人なら理解できない。
 総務省によれば、SNS(ネット交流サービス)のツイッターの匿名率は米英両国が30%台に対し、日本は約75%と突出している。実名だと世間にたたかれるから匿名となり、傍若無人になって人を自殺にまで追い込む。発言を実名にすることはまずは必要な一歩だ。【聞き手・宇田川恵】
                            
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posted by satonaoki at 11:02| NEWS

2021年11月21日

「北海道新聞」(2021年11月21日)に阿部恭子『家族間殺人』(幻冬舎新書)の書評が掲載されました。

 2021年11月21日の「北海道新聞」に、阿部恭子『家族間殺人』(幻冬舎新書)の書評を書きました。
 内容は以下の通りです。

 どこの国でも犯罪加害者家族に対する偏見や批判はあるが、じつは日本ほど世間のひどいバッシングにさらされることはない。家族が社会的地位を失い、日常生活を奪われ、転居や転職を迫られるのは日本に特有の現象なのだ。
 そしてあまり知られていないことだが、この国では殺人の半分が家族間でおきる。家族間殺人の当事者は、加害者家族であると同時に被害者家族であるという、きわめて深刻で困難な立場に追い込まれる。
 著者は、2008年に日本で初めて加害者家族支援団体World Open Heartを設立した。本書では、直接支援に関わった「野田市小四虐待死事件」「岩手妊婦殺害・死体遺棄事件」「宮崎家族三人殺害事件」などについて、その背景や動機が丹念に解析される。
 なぜ日本の家族は殺し合うのか? 家族間殺人は昔から起きており、しかも減少傾向にあり、巷でいわれるような、日本の伝統的家族が崩壊したからではない。その根底にあるのは、「家族は仲よく、家庭は安全という世間の家族幻想と、そうあるべきという共同体の倫理観による圧力」なのだ。つまり、家族はあまりに肯定的に、ときには美化されすぎているからだという。
 また日本では、子どもが罪を犯したときに、親と子が別人格とみなされる欧米とは異なり、仮にそれが成人であっても、親が責任を取れと世間から非難される。「元農水事務次官長男刺殺事件」が典型だが、犯罪につながるような家族間の葛藤や暴力の問題があっても、世間体を考えて外部の支援組織に相談できず、家族内で抱え込んでしまう。
 圧巻なのは、後半に言及される1966年に起きたある「兄弟間殺人事件」だ。ここで著者が加害者家族の支援活動にたどり着くきっかけとなった人物との、運命的な出会いが語られる。詳しくはぜひ本書をお読みいただきたいが、淡々とした筆致で、この家族が抱える葛藤の謎が鮮やかに解かれてゆくくだりが、私にはちょっと衝撃的だったことを告白しておきたい。

posted by satonaoki at 09:36| NEWS