2017年05月14日

日本犯罪社会学会編『第43回大会報告要旨集』に報告要旨が出ました(2017年3月)。

2016年10月29日に、神戸市・甲南大学で開催された日本犯罪社会学会第43回大会のトークセッションで、「少年法適用年齢引下げ」というテーマで報告しました。報告者は、他に九州大学の武内謙治さん、筑波大学の土井隆義さんです。
その内容が、日本犯罪社会学会編『第43回大会報告要旨集』に掲載されています。私は世間論から少年法改正問題について、ギデンズのいう共同体=世間への<再埋め込み>という視点から報告したのですが、フロアからの発言を含めて、きわめてスリリングなトークセッションになりました。
以下のサイトから討論を含めた報告要旨全文がダウンロードできます。
http://hansha.daishodai.ac.jp/meeting_reports/index.html

なお、私の報告部分は以下の通りです。

●佐藤報告「少年法適用年齢引下げ−「世間」への<再埋め込み>をめぐって−」要旨

(1)「子ども期」の登場と保護主義の成立
ヨーロッパ中世においては、幼児期をすぎると子どもは7/8 歳で「小さな大人」(P・アリエス)と
みなされた。それは文化の伝承が文字によってではなく、声によっておこなわれたためである。これを
W・J・オングは「一次的な声の文化」と呼ぶ。
ところが12 世紀以降徐々に、文化の伝承が文字でなされるようになる(「文字の文化」)。17 世紀末に
なると、公教育の登場による「学校化」(アリエス)がはじまり、子どもへの「関心のまなざし」が強ま
って、歴史上初めて「子ども期」が登場する。
子ども期の成立を背景として、19 世紀には、子どもの刑罰軽減が刑法に詳細に規定されるようになる。
この自由主義(夜警国家)段階の刑法において子どもは、「自由意思で犯罪をおかした小さな大人」とみ
なされ、「犯罪−責任−処罰」という大人と同様の責任主義が適用された。
大きな転換は、1899 年イリノイ少年裁判所法の成立にはじまる。児童救済運動の高まりなどによって、
大人の刑事手続と分離した少年の特別な扱いが必要とされ、子どもは「環境の犠牲者としての子ども」
とみなされるようになる。帝国主義(福祉国家)段階における「評価−予防−処遇」という保護主義の
誕生である。これは、福祉国家的な刑事政策の刑事司法への介入という意味で、「処罰福祉主義」(D・
ガーランド)の成立といえる。

(2)子どもの「小さな大人」化と厳罰化
日本では1922 年に「処罰福祉主義」に基づく旧少年法が成立し、戦後の少年法に引き継がれる。だが
1980 年代以降、@高度資本主義=高度消費社会の出現による商品経済の子どもへの浸透と、A電話・テ
レビ・パソコンなどの電子メディアの普及によって、「二次的な声の文化」が復活し、あたかも中世のよ
うな子どもの「小さな大人」化が進んだ。
大きな変化は、90 年代末以降のグローバル化=新自由主義の台頭によって、自己責任論が強まり、子
どもは再び「自由意思で犯罪をおかした小さな大人」とみなされるようになったことである。97 年「神戸
連続児童殺傷事件」が厳罰化のきっかけとなり、99年「光市母子殺害事件」の死刑判決に象徴されるよ
うに、「処罰福祉主義」が後退してゆく。

(3)後期近代における「世間」への<再埋め込み>
「世間」とは何か。日本では近代化=西欧化の過程で、individual やsociety の形成が十分になされ
ず伝統的「世間」が連綿とのこった。「世間」とは、@「贈与・互酬の関係」A「身分制」B「共通の時
間意識」C「呪術性」のルールをもつ人的関係である。近代化=<脱埋め込み>(A・ギデンズ)によ
って共同体な紐帯や掟は解体していったが、「世間」という幻想の共同性が負荷的・抑圧的なものとして
強固にのこったのである。
行動の準拠点としての「みんなどうしているのだろうか」と考えることが、「世間」という幻想の共同
性が作動していることを表している。後期近代への突入による、1998〜03 年の「伝統離脱」から「伝統
志向」への保守化の動き(NHK放送文化研究所)は、西欧社会では人種・民族・宗教への<再埋め込
み>の現象として現われたものが、日本では伝統的「世間」への<再埋め込み>の現象として現われて
いることを示している。
また、若者の間で保守化が進み、友だち同士の「プレゼント」(「世間」のルール@)や「あの世、パワ
ースポットへの関心」(C)や「宿命主義」(A)といった現象(土井隆義)は、<再埋め込み>を背景
として、「小さな大人」化によって子どもの生活世界で「プチ世間」が形成されていることを示している。

(4)少年法適用年齢引下げをどう考えるか
現在急いで少年法適用年齢を引下げる理由は見当たらない。ただし犯罪率の減少が少年司法の運用の
成功を意味するかといえば、根底にあるのは、日本は先進国中犯罪率は最も低く/自殺率は最も高いと
いう、「世間」の犯罪抑止力と自殺誘発性の高さである。
さらに「幼児」「子ども/大人期」「老人期」の成立(N・ポストマン)によって、成熟した「小さな
大人」と、未熟な「大きな子ども」の混在する状況が生まれている。とすれば、むしろ成人年齢の引上
げが必要な時代といえるかもしれない。
posted by satonaoki at 08:42| NEWS

2017年02月05日

「北海道新聞」(2017年2月4日)に「夫婦の姓と『世間』」が載りました。

 「北海道新聞」(2017年2月4日)の「各自核論」のコーナーに、「夫婦の姓と『世間』」という評論が掲載されました。昨年10月に東京地裁が「職場ではすべからく戸籍名を使え」というとてつもなくヘンな判決を出したことについて、「『世間』の無意識における女性差別」という視点から考察したものです。
 まあ、ぶっちゃけていえば、裁判所もボーイズ・クラブなんですね、ということです。
 内容は以下の通りです。


 ● 夫婦の姓と「世間」−無意識の中に女性差別−
                         
 とにかくヘンとしかいいようのない判決だ。日大第三中学・高校(東京)の30代の女性教諭が、職場で結婚後に戸籍姓を強制されたとして、旧姓使用と慰謝料を求める訴訟をおこしたが、東京地裁は昨年10月、請求を棄却したのである。現在、東京高裁で控訴審が行われている。
 地裁判決は、職場において戸籍姓の使用を求めることに合理性、必要性が認められるし、通称としての旧姓使用は、社会に根付いているとは認められないとして、学校側に違法行為はないといっている。つまり、職場ではすべからく戸籍名を使えということだ。
 では夫婦はそもそも、「同姓」でなければいけないのか。じつはこの問題については、15年12月に最高裁大法廷が、夫婦同姓を定めた民法の規定は憲法に違反しないとしている。だが面白いことにこの判決では、姓を改める者の不利益について、「妻となる女性が不利益を受ける場合が多いと推察できるが、姓の通称使用が広まることにより一定程度は緩和されうる」という内容の文言をつけ加えている。
 最高裁がこうした言い訳をしなけれはならなかったのは、社会に通称使用が広がっているという現実を無視できなかったからであろう。そして、東京地裁の判決にしたがえば通称使用は認められず、女性の不利益は緩和されないわけだから、論理的にいってこの判決は、最高裁判決のこの部分に楯突いていることになる。
 通称使用の広がりという点では、じつはこの日大第三中学・高校の周辺の学校でも、ほとんどが日常業務での旧姓使用を認めているという。これを認めたところで、なにか混乱がおきるとも思えない。にもかかわらず、これほどまで頑なに裁判所が旧姓使用を認めたがらないのは、いったいなぜなのか。
 海外では「同姓」「別姓」「結合姓」を選択できるのがほとんどで、日本のように「同姓」のみを法的に強制する国は存在しない。日本は世界的には、完全に孤立したガラパゴスなのである。しかも不思議なことに、結婚時に夫の姓になるのがじつに96%で、大多数の女性の姓が結婚後に変わる。
 そのため旧姓使用の要求は、もっぱら圧倒的な不利益を受ける女性の側の問題となっている。私の周りをみても、とくに女性研究者の場合に、姓が変わると同一人物と認識されなくなる可能性があり、キャリアが切れて、研究業績の評価に影響しかねない。
 そうなるのは、日本の「世間」では同調圧力がきわめてつよく、夫婦の姓を選択するときに、「みんなはどうしているだろうか」という基準で考えるからである。「出る杭は打たれる」ために、大多数が夫の姓になる。この構造は、ほとんど意識されることがない。いわば「世間」の無意識の中に、強固な性差別が刷り込まれているのだ。
 例えば、昨年10月に「世界経済フォーラム」(WEF)が発表した男女の平等度を示す「ジェンダー・ギャップ指数」では、日本は調査対象の一四四カ国中なんと一一一位である。これは06年に調査が始まって以来、最悪の数字であるという。しかしこの数字を示されても、おそらくほとんどの人が実感をもてないのではないか。
 実感できないのは、差別が「世間」の無意識となっているからである。日本では法的な「家制度」は戦後なくなったが、依然として結婚は個人のものではなく、「嫁をもらう」「夫の家に嫁ぐ」というように、女性差別的な「いえ」の考えが執拗に残っている。
 こうした差別的な空気が「世間」を支配しているために、裁判所もそれと無縁ではありえない。旧姓使用を頑なに認めないのは、裁判官も「世間」の一員だからである。いま必要なことは、差別が刷り込まれている「世間」の無意識を、徹底的に意識化することである。(著者紹介)さとうなおき 51年宮城県生まれ。専門は世間学、刑事法学。「日本世間学会」幹事。著書に「犯罪の世間学」など。


posted by satonaoki at 08:22| NEWS

2017年01月04日

『シンポジウムの記録 テーマ「犯罪加害者家族の支援について考える」』が東北弁護士連合会から出ました。

『平成28年度 東北弁護士連合会定期弁護士大会 シンポジウムの記録 テーマ「犯罪加害者家族の支援について考える」』が出ました(2016年11月付)。発行者は、東北弁護士連合会・山形県弁護士会です。
本書は、2016年7月1日に山形市・ホテルメトロポリタン山形で開催された、東北弁護士連合会主催の定期弁護士大会におけるシンポジウムの全記録です。
 当日のシンポジウムでは、私を含めて、他に阿部恭子さん(加害者家族支援をしている日本で唯一のNPO法人・ワールドオープンハート理事長)、武内大徳さん(犯罪被害者の支援をしている神奈川弁護士会所属の弁護士)の3人のパネラーが参加し、犯罪加害者家族支援の問題についてかなりつっこんだ議論をしました。
 その後大会では、犯罪加害者家族の支援のための決議がなされました。公的団体が犯罪加害者家族支援の問題をこうした公の場で取り上げ、シンポジウムを開催し決議をあげたというのは、おそらく日本の司法システムの歴史上初めてのことだと思います。
 その意味で、本書はきわめて画期的な内容になっています。
 
posted by satonaoki at 16:46| NEWS