2023年11月07日

「ダイヤモンドオンライン」(2023年11月7日公開)に、「ジャニーズ問題でも起きた被害者への誹謗中傷、『SNS匿名率75%』の日本の不条理」が掲載されました。

 「ダイヤモンドオンライン」(2023年11月7日公開)に、「ジャニーズ問題でも起きた被害者への誹謗中傷、『SNS匿名率75%』の日本の不条理」が掲載されました。
 https://diamond.jp/articles/-/331845

 テキストはほぼ以下の通りです。

 ●ジャニーズ性加害問題
 ●被害者への誹謗中傷はなぜ起きる

 「ジャニーズ性加害問題当事者の会」の代表として活動している平本淳也さんが、SNSで誹謗中傷を受け名誉を毀損されたとして、10月10日に、神奈川県警に告訴状を提出し受理されたそうだ。
 彼にたいする誹謗中傷は数万件にのぼり、彼の人格自体を全面否定するような内容の文言が、SNSに書き込まれていたという。
 数万という件数にも驚くが、平本さんは、「酷い書き込みを信じてしまう人もいて、生活が脅かされる事態になっている」「恐怖を感じながら不安な中での生活が続いている。精神安定剤や睡眠薬を服用する現状がある」と語っている。
 2020年にもテレビ番組の言動で誹謗中傷を受け木村花さんが自死に追い込まれた「テラスハウス」事件があり、インターネットでの匿名の誹謗中傷が止まらない。
 日本では、自分が直接危害を加えられた訳でもないのに、SNSで誹謗中傷の書き込みを熱心にする人がかなりいるらしい。いったいなぜなのか? 
 
 ●ネット炎上が非難一色にならない海外
 ●反論の少数者も入り乱れて論争に

 「当事者の会」の平本さんは、明らかにジャニー喜多川氏による性加害の被害者なのだが、この間に一気に「代表」という、「世間」から注目されるような目立つ存在になった。そのために、「金目当て」「売名行為」「デビューできなかった嫉妬」などと、被害者であるにもかかわらず、苛烈な誹謗中傷を受けることになった。
 この構造は、一般に日本では、たとえば犯罪被害者の家族であっても、法改正などを主張して目立つような活動を始めると、「金や反響目当て」「被害者の側にも落ち度があった」などと、しばしば「世間」から叩かれることがあるのと同じだ。
 この点で面白いのは、精神科医の和田秀樹さんが、日本と海外のネットリテラシーを比較して、「日本は少数派が沈黙し、海外では多くの場合、多数派も少数派も入り乱れての大論争が繰り広げられる」と指摘していることだ。
 海外ではネットで炎上しても、かならずしも非難一色にはならない。なぜなら少数派がいて反論するからだ。
 もちろん海外でも、ネットで炎上したりバッシングされたりすることはあるが、反論が可能でちゃんと議論になるところが日本とはちがう。少数派が沈黙しないからである。
 たとえば、2020年に『ハリー・ポッター』の著者J・K・ローリング氏は、ツイッターにトランスジェンダーの存在を否定するような内容の投稿をして炎上した。
 しかしこの批判にたいして彼女は、他の学者・作家などとともに、「反対の見方に対する不寛容と公の辱めや村八分の流行を助長する」というの内容の公開書簡を公表して反論している。
 日本でなぜ少数派が沈黙するかといえば、「世間」の同調圧力が圧倒的につよいために、自分の意見を表明すれば、それだけで「世間」から叩かれるからだ。
 だからいったん誹謗中傷のバッシングが始まると、非難一色の空気に支配され、止める人がいなくなる。それをやめさせるためには、今回の平本さんのように、刑事告訴という最終手段を取らざるを得なくなるのだ。

  ●同調圧力を増幅するSNSの匿名性
  ●4割が実名公開に抵抗感、海外は1割

 しかもこうした誹謗中傷を増長させているのが、SNSの「匿名性」があることだ。とくに日本の場合、これが誹謗中傷を量産する温床になっている。
 興味深い調査がある。総務省の『情報通信白書』(2014年版)によれば、SNSの代表格であるツイッター(現X)の日本での匿名率は、なんと75.1%だ。これに対して米国は35.7%、英国は31%、フランスは45%、韓国は31・5%、シンガポールは39.5%で、日本は海外と比べてダントツに高い。
 また、SNSの実名公開に「抵抗感がある」と答えたのが、日本が41.7%と半数近くある。ところが、米国は13.1%、英国は11.7%、フランスは15.7%、韓国は11.2%、シンガポールは13.6%と他国はほぼ10%台であり、これも海外と比較すると、日本は突出して高い。
 日本で匿名率が高いのは、SNS上で実名で発信した場合、個人が特定されて他のユーザーから徹底的に叩かれ、実生活の上でも被害を受ける可能性が高いからだと考えられる。先にのべたように、日本の「世間」では同調圧力がつよく、いったん叩かれ始めると、少数派が沈黙するため、ネット上で自己の正当性を主張したり反論したりすれば、逆に「火に油を注ぐ」という結果になることが多い。そのため、実名公開に「抵抗感がある」ことになるのだ。
 ここでいう日本では「世間」とは、『万葉集』の時代から連綿と存在してきた日本人に固有の人間関係の在り方だ。きわめて古い歴史をもつために、そこに沢山の特有のルールが存在する。その一つに、「出る杭は打たれる」ルールがある。多様な生き方が許されず、「みんな同じ」でなければならないということだ。
 このルールがあるために、日本では他人と違う行動をとって目立ったりすると、べつに犯罪をおかしているわけでもないのに、「目立つ」という理由だけで、それを排除しようとする同調圧力に晒される。
 コロナ禍で自粛せずに営業しているお店に、「オミセシメロ」「警察を呼びます」「キエロ」などと脅した自粛警察が、まさにそうだったが、これがSNSでは匿名性によって増幅されるのだ。

 ●「世間」のウチとソトで二重人格?
 ●ネット上でも実名で自由闊達な議論を

 さらに日本の「世間」では、ウチとソトを厳格に分ける。そこに登場するのが「旅の恥はかき捨て」という特有のルールだ。たとえば、日独ハーフである作家のサンドラ・ヘフェリンさんは、「匿名は怖い」と考えさせられたとして、以下のような体験を述べている。これがじつに示唆的で興味深い。
 それは、ツイッターである匿名の人物が、彼女にたいして「ガイジンとか言うと『日本人だもん』って被害者ぶってくる。日本人名じゃなくてカタカナの名前を使っているのに笑」という差別的な書き込みをしてきた、というものだ。
 ところがこの同じ人物がほかのツイートで、「本屋のドイツ語コーナー見ていたら話しかけられて、ドイツ旅行で使えそうな会話の本を聞かれたから何冊か良さそうなものをおすすめした」と書き込んでいる。
 つまりこの人物は、顔が見えないツイッターでは「平気で差別的なことを書いている」にかかわらず、顔が見える実生活では「親切な人」であると、彼女は不思議がっている。
 ヘフェリンさんもかなり奇妙に感じたと思うが、なぜこうなるのか? 「世間」の特徴はウチとソトを厳格に分けることにある。日本人は顔の見える「世間」のウチにおいては身内に親切にする。ところがいったん「世間」のソトに出ると、顔の見えない、つまり匿名の他人同士の関係になり、「世間」のタガが外れるので、傍若無人になりやすい。つまり日本人は、「世間」のとウチとソトとで、二重人格者であることになる 。
 まさに「旅の恥はかき捨て」という格言は、日本人は旅に出て自分の「世間」を離れたときに、「世間」の同調圧力から自由になるので、日頃の恥の意識を捨てることができるということだ。ツイッターでは匿名性が高く、顔の見えない関係となるので、傍若無人になりやすい。
 しかも、平本さんの元に「死ね」「消えろ」「生きる資格がない」といった人格を全否定するような二次加害が集中したのは、自分の「世間」のウチでは「対立を避ける」「波風を立てない」「空気読め」というルールがあり、そもそも対立を前提とする権利・人権の意識がきわめて希薄だからだ。
 つまり、「世間」のソトでいかに性加害が人権侵害であるといわれても、それはタテマエにすぎないという意識しかないから、匿名になった時に、この「世間」のウチの意識がそのままソトに露出し、苛烈な誹謗中傷が繰り返されることになる。SNSでの誹謗中傷の根底には、日本人特有のこうした感覚がある。
 誹謗中傷をなくすのは容易ではないが、各自が可能な限り匿名での発信をやめ、実名で自由闊達な議論が成立するような土壌を、ネット上に早急につくり上げることが必要だ。
 

posted by satonaoki at 20:14| NEWS

2023年11月06日

『リベラルタイム』(2023年12月号)に、「『匿名』『同調圧力』で『少数派』を蹴散らす『人権不在』の日本」が掲載されました。

 『リベラルタイム』(2023年12月号)の「特集『炎上』の研究」に、「『匿名』『同調圧力』で『少数派』を蹴散らす『人権不在』の日本」が掲載されました。
 http://www.l-time.com/

 テキストはほぼ以下の通りです。

 近年のインターネットの普及によりだれもが発信者になれることで、炎上によるバッシングや排除が猛威をふるっている。炎上は世界共通に見られる現象だが、文化的背景が異なる日本と欧米とではかなり違う。いったい何が違うのか? 日本では炎上の根底に、昨今の新型コロナ禍で露出したような、欧米にはないつよい同調圧力が存在する点だ。

  ●「キャンセルカルチャー」で排除

 よく知られているように、欧米では「#MeToo」運動がその代表格といえるが、これは性暴力やセクシャルハラスメントの被害体験をSNSで共有しようとするものだ。二〇一七年に、ハリウッドの映画プロデューサーであるハーヴェイ・ワインスタインが多くの女優からセクハラを告発され、ネットで糾弾運動が広がったことがきっかけだった。その後彼は刑事責任を問われ、二〇年三月と二三年二月に実刑判決を受けて、現在は刑務所に収監されている。
こうした運動は、欧米で歴史的に確立されてきた強烈な人権意識がベースにあり、近年、左右両派の分断が深まったために、炎上が過熱化しエスカレートすることで、主に保守派から、排斥的な「キャンセルカルチャー」だと揶揄されるようになった。
 炎上とキャンセルカルチャーの違いは、個人や組織の不適切な言動がやり玉にあげられ、ネットで広く拡散され、バッシングされるのは同じだが、キャンセルは取り除き・消し去るという意味で、その先の追放・排除にいたるところが異なる。
 とくにキャンセルカルチャーでは、新たにできたルールでそれ以前の行為を裁けないという「不遡及の原則」を無視して、大昔の言動が問題にされて叩かれたり、「対抗言語」で反論する機会が与えられないなど、手続き的な公正さに欠けることが批判される。
 日本でキャンセルカルチャーの典型例として挙げられるのは、二一年に東京オリンピック開会式の楽曲制作を担当する予定だった、ミュージシャンの小山田圭吾さんのケースだ。彼は二十数年前の雑誌のインタビューで、自分が関わった学生時代のいじめについて語ったことが問題視されて炎上。ただちにツイッター(現・X)で謝罪し、組織委員会もこれを認めて続投を表明したにもかかわらず、批判が収まらず辞任に追い込まれた。
 欧米でも、二一年に歌手のビリー・アイリッシュが、過去のアジア系にたいする差別的動画がSNSで拡散し炎上。これにたいして彼女は、自分の非を認め他人を傷つけたという内容の謝罪文を、インスタグラム・ストーリーズに投稿して事態が収束した。小山田さんのケースと異なるのは、欧米では言い訳せずにきちんと謝罪し、真摯に反省していることが社会に理解されれば、炎上が収まることが多いことだ。

  ●日本では「反論」できない

 日本は、もともと同調圧力がきわめて強いので、炎上によるバッシングが始まると非難一色の空気に支配され、反論する機会を与えられず、謝罪もほとんど意味をもたなくなる。その結果、キャンセル、つまり地位を失ったり、社会から完全に排除される結果となることが多い。
 こう考えてくると、いま猛威をふるっている日本の炎上は、強烈な人権意識の不在という歴史的・社会的背景の違いはあるものの、じつは欧米で批判されているようなキャンセルカルチャーそのものではないか、という気がしてくる。
 この点で興味深いのは、精神科医の和田秀樹さんがネットリテラシーに関して、「日本は少数派が沈黙し、海外では多くの場合、多数派も少数派も入り乱れての大論争が繰り広げられる」と指摘していることだ。なぜ少数派が沈黙するかといえば、同調圧力が圧倒的に強いために、自分の意見を表明すれば「世間」から叩かれるからだ。
 ちなみに総務省の『情報通信白書』(一四年版)によれば、SNSの代表格であるツイッターの日本での匿名率はなんと七五・一%である。これにたいして米国三五・七%、英国三一%、フランス四五%、韓国三一・五%、シンガポール三九・五%で、日本は海外と比べてダントツに高い。

  ●「匿名」で誹謗中傷

 海外と比較して匿名率が高いのは、実名で発信すると徹底的に叩かれて実害を受ける可能性があるからだ。しかも、匿名になると「旅の恥はかき捨て」状態となり、わりと平気で誹謗中傷をする。日本人は実名の世界である自分の「世間」のなかにいる限り、真面目にルールを守るのだが、いったん「世間」の外の匿名の世界に入ると傍若無人になる。
 欧米では多数派によって炎上したとしても、そこにかならず少数派が存在するので、非難一色に染められることがなく、日本のように問答無用の「出る杭は打たれる」状態にはならない。だから、自分の意見や反論を表明しやすい。
 たとえば、二〇年に『ハリー・ポッター』の著者J・K・ローリングは、ツイッターにトランスジェンダーの存在を否定するような内容の投稿をして炎上した。しかしこうした批判にたいして彼女は、他の学者・作家などとともに、「反対の見方に対する不寛容と公の辱めや村八分の流行を助長する」との内容の反論を公開書簡で表明している。
 また一八年に女優のカトリーヌ・ドヌーブは、「#MeToo」運動を批判して、男性に女性を「口説く自由」を認めるべきであると、他の女性作家などとともに公開書簡で表明した。ただし、そのために「セクシャルハラスメントを擁護している」として叩かれ、彼女は謝罪に追い込まれた。しかし繰り返すが、ここでも反論をきちんと表明できるところが、日本とは違う。つまり、ちゃんと議論が成立するのだ。
 日本の炎上は、同調圧力がつよいため反論することを許さない、事実上のキャンセルカルチャーであるといえる。二〇年のプロレスラーの木村花さんや二〇二三年のタレントのryuchellさんのケースのように、ネットで誹謗中傷を受けた結果、自死にまで追い込まれるたと考えられるケースもある。いま日本に必要なのは、たとえ炎上したとしても、当事者が自由に発言でき、闊達な議論が成立するような土壌を早急につくり上げることである。

posted by satonaoki at 16:05| NEWS

週刊『ダイヤモンド』2023年9月9日号に「世界の『人助けランキング』 ビリから2番目に”納得の理由”」が掲載されました。

 週刊『ダイヤモンド』(2023年9月9日号)に、「世界の『人助けランキング』 ビリから2番目に”納得の理由”」が掲載されました。

https://pro.kinokuniya.co.jp/ja/search_detail/product?search_detail_called=1&ServiceCode=1.0&UserID=bwpguest&table_kbn=M&product_id=EK-1566129
https://diamond.jp/articles/-/327539

 テキストは、ほぼ以下の通りです。

 イギリスに本部のあるチャリティーズ・エイド・ファンデーションという慈善団体が、「世界寄付指数」という人助けランキングの報告書を毎年公表している。
 100ヵ国以上の人々を対象としたインタビュー調査の項目は、この一ヵ月の間に、「見知らぬ人、または助けを必要としている知らない人を助けたか」、「慈善団体に寄付をしたか」、「ボランティアをしたか」の三つだ。
 最新の2022年度の総合順位で、トップはインドネシア、2位はケニア、3位は米国だった。
 日本は118位で、最下位のカンボジアのすぐ上、実は前年は114位で世界最下位だった(113位はポルトガル)。
 また項目別ランキングでいえば、「人助け」が 118位、「寄付」が 103位、「ボランティア」が83位と、人助けと寄付が特に低い。
 総合順位のトップ10ヵ国の上位3ヵ国以外は、4位オーストラリア、5位ニュージーランド、6位ミャンマー、7位シエラレオネ、8位カナダ、9位ザンビア、10位ウクライナだ。
 この10カ国をみると、先進国ではない国も多い。インドネシアが1位になっているのは、イスラム教の「喜捨」という慈善の教えの影響であるとされる。
 ケニアなどの複数のアフリカ勢が上位に入っているのは、伝統的に「ウブントゥ」という助け合いの哲学があるからだといわれる。経済力だけでなく、その国の社会や人々の生活に根着いてきたさまざま要因があるようだ。

  ●「見知らぬ人」には無関心
  ●「世間」と「社会」の二重構造

 日本に来た外国人に聞くと、彼らがびっくりするのは、大きな荷物を抱えて駅の階段をなかなか上がれず、途方に暮れているお年寄りを見ることだという。海外だったら、ただちに誰かが声を掛け助けてくれるからだ。
 いったいなぜそうなるのか? 日本人は人に親切な国民のはずではないのか? 
 私の専門の世間学からいえば、その理由を日本における「世間」と社会の二重構造という角度から考えるとわかりやすい。
 ここでいう世間とは、「顔見知りの人がつくる関係」であり、社会とは「見知らぬ人がつくる関係」と定義できる。
 日本には、『万葉集』の時代から世間が存在してきたが、社会は明治時代にヨーロッパから輸入された舶来品だ。
 欧州でも古い時代には、現在の日本にあるような世間が存在した。ところが12世紀ごろから都市化の進展とキリスト教の支配によって、それが否定され「society」 に徐々に変わっていった。日本では1877年ごろ「社会」と翻訳され、現在では普通に使われる言葉となったのだ。
 問題は、日本では明治以降に、伝統的な世間と舶来品の社会の二重構造ができあがり、現在でも世間に強く縛られているために、世間がホンネであって、社会はタテマエにすぎないことになった点だ。
 つまり日本人にとって、「顔見知りの人がつくる関係」がホンネで、「見知らぬ人がつくる関係」はタテマエであることになる。
 日本人は「顔見知りの人」ならば「身内」と呼んで親切にするし全力で助けるのだが、社会がタテマエにすぎないために、「見知らぬ人」は「あかの他人」と呼び、ほとんど無関心で、助けることをしないのだ。
端的にいって、駅の階段で困っているお年寄りを助けないのは、その人が自分の世間に属する顔見知りの人ではなく、社会に属する見知らぬ人だからだ。
 また世間の中には、お中元・お歳暮に代表される「お返し」ルールがあるために、「無償の贈与」が成り立ちにくいという問題がある。
 日本人はモノをもらえば必ずそれに見合ったモノを「お返し」なければならないと思っている。これはモノに限らない。ラインの「既読無視」が問題になるのも、メッセージを受け取っているのに返信しないという、「お返し」しない態度が非難されるからだ。
 意外に思われるかもしれないが、現在世間が存在しない欧米では、このお返しルールは存在しない。キリスト教会がそれを否定したからだ。
例えば『新約聖書』ルカ14章では、食事の会を催す場合には友人や近所の金持ちなどは招かずに、貧しい人、体の不自由な人などを招きなさいと書かれている。
 なぜなら金持ちはお返しできるが、貧しい人はできないからだ。
 そうすれば正しい者が復活するときに、あなたは報われると聖書は説くのだ。
 これによって、欧州では、当時、存在した現世の「お返し」ルールを否定し、それを神との関係に変えて、お返しは来世にありますと、贈与慣行を転換させたのだ。
 欧米ではこれが、死後の救済を求める教会への寄進となり、さらに公共施設や慈善団体への巨額の寄付として、現世では見返りを求めない無償の贈与につながってゆく。大規模な寄付の成立の根底には、こうしたキリスト教による贈与慣行の転換があった。
 日本で寄付などの無償の贈与の文化が育たなかったのは、欧州のように世間が否定される歴史がなかったために、現在でも見返りを求める「有償の贈与」、「お返し」ルールが強固に残っているからだ。
 項目別ランキングで寄付の順位が低いのは、まさにこれを象徴している。

  ●ボランティア活動広がれば
  ●「風穴」をあける契機に

 日本でしばしば実名での寄付がインターネットで叩かれるのも、この二重構造と関係がある。
 世間には「みんな同じ」でなければならないとする、日本に特有の「出る杭は打たれる」ルールがあるため、妬み意識がきわめて強く、じつはこれが寄付の大きな障害となっているのだ。
 少し前のことだが、16年の熊本地震の際にタレントの紗栄子さんが、熊本県に約500万円の義援金を出したことを、インスタグラムで公表した。
 ところがネットの一部から、「わざわざ投稿する必要ないと思いますけど」「金額をいうのは下品」「偽善と売名のにおいがする」といった批判が噴出した。
 一方で例えば10年〜11年にかけて、『タイガーマスク』の主人公「伊達直人」を名乗って、児童施設などにランドセルを贈る「タイガーマスク運動」が全国に広がったことがあった。
 運動が全国的に大きな流れとなったのは、「伊達直人」という匿名の寄付だったからだ。これがもし実名だったら、「売名行為」とたたかれた可能性がある(16年になって「伊達直人」は顔や実名を公表した)。
 米国あたりだと、マイクロソフト元会長のビル・ゲイツ氏は、ビル&メリンダ・ゲイツ財団という世界最大の慈善基金団体をつくり、巨額の寄付を行っている。これがたたかれたという話は聞いたことがない。 
 では、どうすればよいのか?
 むろん日本人は、他国と比べてとくに意地悪なわけではない。世間の人間同士は助け合うのだから、これを社会に広げればよいのだ。
 そこで着目すべきは、項目別ランキングの順位が比較的高いボランティアだ。
 すぐに思い出すのは、11年の東日本大震災の際のボランティアの活躍だろう。災害などの際のボランティアはその前から徐々に増えてきていたが、この積み重ねが、連綿と続いてきた世間と社会の二重構造に、風穴を開ける契機になると思う。

posted by satonaoki at 15:59| NEWS