2017年01月04日

「出版ニュース」(2017年1月上・中旬号)に「今年の執筆予定」を書きました。

「出版ニュース」2017年1月上・中旬号の「今年の執筆予定」に、
以下の文章が掲載されました。

 二〇一六年は、「生活保護受給者とギャンブル−別府市による
支給停止処分をめぐって−」(「消費者法ニュース」一〇八号)
などを執筆した。
 二〇一七年には、『世界で日本にしかない「世間」の壁−「目くじら社会」と、
どう闘うか−』(仮)を新書で出す予定。ますます日本が不寛容な「目くじら社会」
になりつつあることを、世間論から明らかにする内容である。
 つぎに、これまでほとんど取り上げられてこなかったが、
近年やっと着目されてきた、犯罪加害者家族をめぐる問題について、
「世間」の観点から考察する本を準備中。
 また、一六年秋に心理学者の榎本博明さんと、
「文芸トークサロン」というイベントで対論する機会があり、
かなり盛り上がったので、共著か対談本の出版を考えている。
 さらに、一六年に引き続き、北海道新聞の「各自核論」に不定期で執筆予定。

 
posted by satonaoki at 12:17| NEWS

2016年11月27日

奥山忠信著『貧困と格差−ピケティとマルクスの対話』の書評が掲載されました。

 ネットの「ちきゅう座」というサイトに、奥山忠信著『貧困と格差−ピケティトマルクスの対話』(社会評論社)の書評が掲載されました。なお著者の奥山忠信氏は高校時代以来の、約半世紀ぐらいの長いつきあいになる友人です。
 サイトのアドレスは
http://chikyuza.net/archives/67880
 です。
 
 内容は以下の通りです。

  奥山忠信著『貧困と格差−ピケティとマルクスの対話』(社会評論社)を読む
    
                佐藤 直樹(現代評論家・九州工業大学名誉教授)

  ● デフレの原因は「搾取し過ぎ」である
 本書の真骨頂は、ピケティとマルクスの議論を「導きの糸」として、現下の日本の貧困と格差をめぐる危機的状況を、ラディカルに解析してみせた点にある。一見そうみえないかもしれないが、じつはこれは渾身のアジテーションの書でもある。
 私はアベノミクスは、戦後の内閣でも類をみないような露骨で最悪の、「金持ちの・金持ちによる・金持ちのための」政策だと思っている。アベノミクスはデフレ克服のために、貨幣量を増やしてインフレをおこすというものだが、いまだにインフレはおきず、不況から脱出できないでいる。本書ではまず、不況をもたらす「現在のデフレの原因は、貨幣問題ではない」とすっきり・さわやかに宣言する。
 その理由をつぎのように説明する。「不況の原因は実体経済にある。その最も大きな、そして直接的な要因は、マルクスに言わせるなら、『搾取し過ぎ』である。(中略)賃金は非正規雇用者の増大によって下がり続け、支払給与の総額も下がっている。これは消費需要の低迷に直結する。そして消費需要が下っている限り、設備投資が起きない」と。
 そして、「売れる見込みがないのに生産を拡大する資本家はいない。投資の条件がないところに量的緩和政策が行われる。莫大な貨幣が流れ込んでも生産には使用されない。貨幣が足りないから投資しないのではないのである」と喝破する。
 つまり銀行がいくらカネを貸すといっても、モノが売れないから誰も借りない。日銀では民間金融機関に供給された貨幣が、口座に「ブタ積み」になっているという。そして、「企業が使わずに持つ資金である内部留保は、国家予算の3倍を超える。ゆがんだ無気力な経済が、今の日本経済である」と断言する。
 ようするに、アベノミクスによって生じた円安と株価の上昇による利益は、結局ちまたの労働者にはまわらず、企業と株の所有者だけが潤うという、とんでもない構造になっているということだ。本書を読むと、不況から脱出できないのは、日本の資本家が労働者を「搾取し過ぎ」なのだということがよーくわかる。

  ● 日本では「富裕層」すら貧困?
 さらに日本では1990年代に、ハゲタカ資本主義としてのグローバリズムの浸透と拡大にたいしておこなわれたのは、国際競争力を維持するための「国内と海外の両方」での「低賃金労働へのシフト」であり、その結果「このしわ寄せが勤労者に来た」という。
 生産拠点が海外に移れば、国内の雇用が減り賃金が下がる。国内は賃金格差の拡大と会社のブラック企業化で、すさまじい状況になった。90年代末以降の職場への成果主義の導入によって、うつ病患者や過労死が急増している。
 2016年に労災が認定された、電通の女子社員の過労自殺は氷山の一角であり、日本の職場では、月 100時間以上というとてつもない違法残業がふつうのことになっている。karoshiがそのまま英語の辞書にのっている、というのは有名な話である。日本では、海外ではおよそ考えられないような、「滅私奉公」的な働き方をしているのだ。
 格差という点では、いまや非正規雇用者の増加によって、本書のいうように「男は女の2倍強、正規雇用は非正規雇用の3倍強の年収」となっている。ここでは、正規・非正規の間の格差や差別のみならず、男性・女性の間の格差や差別も露骨に顕在化している。
 そのために相対的貧困率が徐々に上がっており、「貧困線は世帯単位で 122万円である。日本では、16.1 %、つまりほぼ6 人に1 人が122 万円以下の生活をしている」。とくに母子・父子世帯の半分以上が、122 万円以下の生活になっている。それゆえ子どもの貧困率は、OECDの中でも最悪となっている。つまり日本は、とんでもない格差社会になっているのだ。
 興味深いことがある。ピケティのいう「富裕層」をめぐる分析によれば、日本の上位10%の「富裕層」の下限は 577万円である。これは間違いではない。ここで誰でも不思議に思うのは、本書のいうように「年収 577万円は富裕層か、という問題」であろう。ちなみに、アメリカの上位10%の下限は1035万円である。1000万円超なら「富裕層」といえるかもしれない。だが577 万が「富裕層」かといわれれば、たしかに奇妙に思える。
 しかも上位10%の下限は、かつて 600万円を越えていたのだが、次第に「富裕層」の下限の年収が下がっているという。じつはこれが奇妙に思えるのは、「富裕者が富裕に見えないほど、日本の賃金は安い」からだという。なーる。ようするにこれは、日本の労働者がいかに資本家にナメられているか、ということなんですね。 

  ● なぜ、日本では労働者の反抗や反乱がおきないのか
 私の興味は、いったいなぜ、資本家の「搾取し過ぎ」状態にあるにもかかわらず、日本では労働者の反グローバリズムの反抗や反乱がおきないのか、という点にある。私にいわせれば、答えは簡単で、それは他の国にはない日本特有の「世間」のせいである。日本は明治時代に科学技術や政治制度などの近代化には成功したが、人的関係の近代化が十分におこなわれず、伝統的「世間」が強固にのこってきた。
 日本人は「世間」にがんじがらめになっているために、この国は先進国中最低の犯罪率と、最悪の自殺率を誇っている。とくに後期近代に突入した現在、社会学者のA・ギデンズのいう<再埋め込み>が生じたため、「世間」の同調圧力がますます強まっている。
 <再埋め込み>とは、共同体の解体を意味する近代の<脱埋め込み>時代が終わり、後期近代に入ると、係留先を求めて人々が再度伝統的な共同体を目指すことを示す。世界を驚かせたイギリスのEU離脱や、アメリカのトランプ大統領誕生は、人種・民族・宗教への<再埋め込み>を象徴している。日本では、人種・民族・宗教的な対立が希薄なために、それが「世間」という伝統的共同性への<再埋め込み>として現われているのだ。
 私は時代の転回点が、年間の自殺者が突如3万人を越えた98年にあったとみているが、この年から労働者の支払給与総額が減り始めている。また、NHK放送文化研究所の日本人の意識調査によれば、社会全体の「伝統志向」が強まり、「保守化」が始まるのもこの年である。
 つまりこのあたりから、<再埋め込み>による「世間」の同調圧力が、明らかに強まっている。この同調圧力によって、労働者の反抗や反乱が徹底的に抑止されているのだ。この構造に、どこかで突破口を開かなければならない。これが焦眉の課題であると思う。
 ところで本書の著者である奥山忠信氏は、高校時代以来の友人である。なぜか長いつき合いになった。彼の外見上の温厚な風貌にみんなだまされるが、じつは彼は天性のアジテーターでもある。
 いよいよ、我々不満分子の出番である。文句あっか。やろうぜ、ハゲタカ資本主義打倒・反グローバリズム革命。企業の内部留保をすべて吐き出させ、金持ちに課税強化せよと、本書は言外に、しかし本気でアジッてるように、私には思えるのだが。
posted by satonaoki at 14:26| NEWS

2016年10月27日

11月5日(土)日本世間学会第36回研究大会で報告します。

 2016年11月5日(土)に東京で開催される日本世間学会第36回研究大会で報告します。報告テーマは「少年法適用年齢引下げと『世間』」です。
 概要は、「選挙年齢の引き下げがおこなわれたことを契機に、少年法の適用年齢も20 歳未満から18 歳未満に、引き下げるべきだと自民党が提言し、現在法務省がその準備を進めている。この背景にあるのは、80 年代以降の子どもの『小さな大人』化と、90 年代末以降の『世間』の復活による『保守化』であることを考察する」というものです。

 ●大会の開催場所等は、以下の通りです。

 日時/2016年11月5日(土) 1:30pm〜5:50pm
 場所/キャンパス・イノベーションセンター5F
  〒108-0023 東京都港区芝浦3 − 3 − 6
 [交通]JR田町駅東口徒歩1 分
  東京工業大学附属科学技術高校の隣り

 ●当日配布予定の報告内容のレジュメは、以下の通りです。

             ●少年法適用年齢引下げと「世間」
           ━━━━━━━━━━━━━━━━━━
           11/5/2016 日本世間学会第36回研究大会
              佐藤 直樹(現代評論家)
              http//www.satonaoki.com

● 「子ども期」の登場と保護主義の成立
・ヨーロッパ中世⇒「幼児」7/8 歳〜徒弟修業「小さな大人」(アリエス)⇒口頭の世界・文化の伝承が声によっておこなわれる⇒「一次的な声の文化」(オング)
・12世紀〜文化の伝承が文字によっておこなわれる⇒「文字の文化」(オング)
・17世紀末〜「学校化」(アリエス)⇒関心のまなざし⇒「子ども期」の登場
・19世紀⇒刑法に規定⇒自由主義(夜警国家)段階⇒「自由意思で犯罪をおかした小さな大人」⇒責任主義⇒「犯罪−責任−処罰」
・1899年イリノイ少年裁判所法の成立⇒帝国主義(福祉国家)段階⇒「環境の犠牲者としての子ども」⇒保護主義⇒「評価−予防−処遇」⇒大人と分離した少年の特別な扱い
・「処罰福祉主義」(ガーランド)の成立⇒国家の刑事司法への介入
 
● 子どもの「小さな大人」化と厳罰化
・1980年代〜子どもの「小さな大人」化
 @高度資本主義=高度消費社会の出現⇨市場経済の浸透
 Aテレビ・パソコン・スマホなど電子メディアの普及⇒口頭の世界の復活
・電話、ラジオ、テレビ⇒「二次的な声の文化」(オング)
・90年代末〜グローバル化=新自由主義の台頭⇒自己責任論⇒「自由意思で犯罪をおかした小さな大人」
・97年「神戸連続児童殺傷事件」⇒厳罰化(逆送年齢の引き下げ等)のきっかけ
・99年「光市母子殺害事件」の死刑判決⇒「処罰福祉主義」の後退
・他の先進国のように犯罪率の増加がないのに厳罰化が進む

● 後期近代における「世間」への<再埋め込み>(ギデンズ)
・世間論⇒近代化=西欧化の過程でsociety の形成が十分になされず「世間」が連綿とのこる
 ⇒法は社会に属する概念
 @「贈与・互酬の関係」⇒「お返し」が必須
A「身分制」⇒年上・年下、格上・格下
 B「共通の時間意識」⇒個人individualの不在/人間平等主義(中根)
 C「呪術性」⇒大安、友引
・近代化=<脱埋め込み>によって共同体は解体していったが、「世間」という幻想の共同性が負荷的・抑圧的なものとして強固にのこる
・<埋め込み>的な共同体的紐帯や掟の解体
 ⇒行動の準拠点としての「みんなどうしているのだろうか」(滝川)
・98〜03年「伝統離脱」から「伝統志向」への保守化の動き(NHK放送文化研究所)
・西欧⇒人種・民族・宗教への<再埋め込み> 
日本⇒「世間」への<再埋め込み>
・「小さな大人」化⇒「プチ世間」の形成
  KY⇒「空気とは世間が流動化したもの」(鴻上)
 「プレゼント」⇒「贈与・互酬の関係」「あの世、パワースポット」⇒「呪術性」 
 「宿命主義」(土井)⇒「身分制」

● 少年法適用年齢引下げをどう考えるか
・犯罪率の減少⇒少年司法の運用の成功?
 日本⇒先進国中犯罪率は最も低く/自殺率は最も高い⇒「世間」の犯罪抑止力と自殺誘発性の高さ
・「幼児」「子ども/大人期」「老人期」の成立(ポストマン)
 ⇒成熟した「小さな大人」と未熟な「大きな子ども」の混在
⇒成人年齢の引上げが必要?              

〔参考文献〕
・阿部謹也『「世間」論序説』(朝日選書、1999年)『近代化と世間』(朝日新書、2006年)
・P・アリエス(杉山光信他訳)『<子供>の誕生』(みすず書房、1980年)
・NHK放送文化研究所編『現代日本人の意識構造[第八版]』(NHKブックス、2015年)
・W・J・オング(桜井直文他訳)『声の文化と文字の文化』(藤原書店、1991年)
・D.Garland, The Culture of Control, Oxford University Press, 2001.  
・A・ギデンズ(松尾精文他訳)『近代とはいかなる時代か?』(而立書房、1993年)
・鴻上尚史『「空気」と「世間」』(講談社現代新書、2009年)
・小宮信夫『なぜ「あの場所」は犯罪を引き寄せるのか』(青春新書、2015年)
・Nobuo Komiya, A Cultural Study of the Low Crime Rate in Japan, British Journa l of Criminology, 39(3), 1999.
・佐藤直樹「少年法の『保護主義』の相対化のために」(『法政理論』25巻4号、1993年)『増補版 大人の<責任>、子どもの<責任>』(青弓社、1998年)「のっぺりとした『大人/子ども』時代が始まった」別冊宝島編集部編『「子育て」崩壊!』(宝島社文庫、2000年)『「世間」の現象学』(青弓社、2001年)『世間の目』(光文社、2004年)『刑法39条はもういらない』(青弓社、2006年)『暴走する「世間」』(バジリコ、2008年)『暴走する「世間」で生きのびるためのお作法』(講談社+α新書、2009年 )『なぜ日本人はとりあえず謝るのか』(PHP新書、2011年)「厳罰化と『世間』」(『法政理論』45巻 4号、2013年)『なぜ日本人は世間と寝たがるのか』(春秋社、2013年)『犯罪の世間学』(青弓社、2015年)
・滝川一廣「日本の近代化と『世間』の生成」世間心理学会編『自己・他者・「世間」の心理学』(学習院大学人文科学研究所、2013年)。
・土井隆義『少年犯罪<減少>のパラドクス』(岩波書店、2012年)「『再埋め込み』の時代」(「社会学ジャーナル」37号、2012年)
・中根千枝『タテ社会の人間関係』(講談社現代新書、1967年)
・A・M・プラット(藤本哲也他訳)『児童救済運動』(中央大学出版部、1989年)
・N・ポストマン(小柴一訳)『子どもはもういない』(新樹社、2001年)
・J・ヤング(青木秀男他訳)『排除型社会』(洛北出版、2007年)
posted by satonaoki at 12:28| NEWS